飲み過ぎで練習→打球が顔面直撃「何針か縫った」 残る傷跡…忘れない染みたビール

広島時代の西田真二氏【写真提供:産経新聞社】
広島時代の西田真二氏【写真提供:産経新聞社】

広島OBの西田氏が振り返るプロ2年目でのリーグ優勝&日本一

 初優勝の思い出は絆創膏とともに……。1984年、古葉竹識監督が率いた広島はセ・リーグを制し、阪急との日本シリーズも4勝3敗で勝ち日本一に輝いた。野球評論家で香川オリーブガイナーズアドバイザーの西田真二氏は当時、プロ2年目の外野手だった。代打中心ながら“ここぞの場面”で力を発揮し、チームに貢献したが、その一方で覚えているのは、今でも傷跡があるリーグ優勝前日の“流血騒動”だという。

 その年、広島のリーグVが決まったのは10月4日の大洋戦だった。マジック1で迎え、0-2の6回に4番・山本浩二外野手が逆転3ラン。投げては普段は抑えを務める小林誠二投手が先発し、2失点でプロ初完投勝利を挙げて胴上げ投手になった。「そうそう、横浜スタジアムでね。浩二さんが打ったんでしたよね」。その試合、西田氏の出番はなかったが、プロで初めて味わう歓喜の優勝シーンは脳裏に焼きついている。

 加えて西田氏は苦笑しながら「あの時の俺は顔に絆創膏を張っていたんですよ」と話した。負傷したのは、優勝決定の前日、10月3日の大洋戦試合前だった。「シートノックでね。(守備走塁コーチの)阿南(準郎)さんがノッカーだった。俺、その前の日にちょっと飲み過ぎててね(笑)。(ノックの打球に)ラインドライブがかかってグラブにかすらず顔に当たった。血がバーって出てね。(二塁手のティム・)アイルランドが一番最初に駆け寄ってきてくれて……」。

 まさかの怪我、まさかの流血だった。「救急車で病院に運ばれた。骨折はしていなかったけど、何針か縫った。いまだに、その跡があるからね」と西田氏は話す。「それから球場に戻って、試合中だったけど、ベンチには入った。試合には出てないけどね。で、次の日に優勝が決まった。(古葉監督の)胴上げもやりましたよ。顔に絆創膏を張ったままね。ビールかけも、アルコールは控えましたけど、ビールがかかって染みるなぁってね。それも覚えています」。

 優勝を決めて、ナインが大盛り上がりのなかで、“自粛”せざるを得なかった状況は、さぞかし無念だったことだろう。西田氏は優勝翌日の試合(10月5日の大洋戦)には代打で出場。そのまま離脱することなく、ペナントレースを終えたが「せっかくの優勝だったのに、カッコ悪かったよね」と何とも言えない表情で振り返った。

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

阪急との日本シリーズ、代打で4試合出場

 10月13日に広島市民球場で開幕した阪急との日本シリーズも、広島は4勝3敗で制した。3勝3敗で迎えた第7戦(10月22日、広島)は7-2。山根和夫投手が完投勝利を挙げて、赤ヘル軍団は4年ぶり3度目となる日本一の栄冠をつかんだ。顔の怪我を乗り越えた西田氏は、第1戦、第4戦、第5戦、第6戦の4試合にいずれも代打で出場。4打数無安打だったが、甲子園で優勝したPL学園時代、大学日本選手権優勝を成し遂げた法大時代に続き、プロでも日本一となった。

「あの年の日本シリーズは(4打席のうち2打席は阪急エースの)山田(久志)さんと対戦して、シンカーにやられたね。(第6戦の初回に広島先発の)川口(和久)さんが、(阪急1番打者の)福本(豊)さんの頭にデッドボール。それも覚えている。だけど、ちょっと寂しかったよ。(第3戦~第5戦を行った)西宮球場にお客さんが少なかったんでね。1万ちょっとしか入っていない試合もあったんじゃないかなぁ。阪急って福本(豊)さんとか簑田(浩二)さんとか、すごい選手がいっぱいいたのにね。何か、それは印象に残っている」

 プロ2年目でリーグ優勝も日本一も経験できたのは、西田氏にとって財産になった。勝負強い打撃で、代打だけでなくスタメンでも活躍。何かを起こす、何かをやってくれそうな選手として、その存在感はどんどん増していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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