衣笠に代打→呼ばれた3年目の若造「おいおい」 ナインからも厳しい視線、困惑した指揮官の判断

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

広島OBの西田氏が忘れぬ代打、大打者がまさかの交代

 元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は、代打の切り札として若手時代を過ごした。大事な場面で登場するため、エース級やクローザーとの対決も自然と増えたが、特に相性がよかったのは中日の牛島和彦投手だ。古葉竹識監督も熟知しており、プロ3年目には鉄人・衣笠祥雄内野手に「代打・西田」のシーンも。「あの時は……」と打席に入った“当事者”が思い起こした。

 1985年5月19日の中日戦(ナゴヤ球場)でのことだった。0-1で迎えた9回。中日先発の杉本正投手が2死満塁のピンチを招いて降板。2番手に牛島が上がり、打席には衣笠。ここで古葉監督が「代打・西田」を告げた。1983年に2000安打を達成し、リーグ優勝した1984年は打点王のタイトルに加えてMVPにも輝いた。通算本塁打はすでに400本を超え、連続試合出場も継続中の大打者をスパッと代えたのだ。

 西田氏も当然、驚いた。「だってね、衣笠さんはネクストにいたんですよ。(打席に)出て行こうとしていたわけですから。そんなところで古葉さんが『トラ(西田氏の愛称)!』って。“おいおい”って思いましたよ。衣笠さんの気持ちを考えたらねぇ……。例えば、阪神の時の金本(知憲外野手)の打席で、若造を代打に出すようなもんですよ。そんなのできないでしょ。星野(仙一)さんもしないでしょ。でも古葉さんはやったんですよ」。

 これには西田氏と牛島の相性が関係していたと思われる。1歳下の浪商出身の右腕をPL学園時代から知る西田氏は「牛からはよく打っていたからね」と話す。1985年も4月27日の中日戦(ナゴヤ球場)、5月12日の中日戦(新大分)、5月18日の中日戦(ナゴヤ球場)と代打で対戦し3打席連続安打をマーク。結果を残していたこともあり、得点機で牛島がマウンドに上がったところで、古葉監督が動いた。

指揮官の采配が的中も「やっぱりプレッシャーが」

 結果は西田氏が四球を選び、押し出しで同点。延長戦に突入すると10回表に広島が3点を奪って勝利した。古葉監督の采配が当たった形となった。「古葉さんはそういうデータとかをやっぱり見ていたんだろうけど、あの時はやっぱりプレッシャーが多少、ありましたよ。そりゃあ、衣笠さんの顔を見たらね。まぁ、でも俺はバッターボックスではゾーンに入るから。牛のボールはよう見えたんですよ。押し出しの時、(三塁走者の)高橋(慶彦)さんは俺を見て笑っていたけどね」。

 この年、プロ3年目の西田氏は64試合に出場し、63打数17安打、2本塁打、18打点。6月1日のヤクルト戦(旭川)、2-3の9回裏1死一塁で尾花高夫投手から放った代打逆転サヨナラ2ランもよく覚えているという。「あの時はね、北海道で(試合後に山本)浩二さんが食事会を開いてくれたんですよ」と思わず笑みをこぼしながら話してくれた。

「食事に行って、浩二さんが『トラ!(夜の)12時まではお前が主役だ!』って言ってくれてね。楽しかったですよ。法政の後輩ということで、浩二さんは(シーズン1号となる逆転サヨナラ弾を)本当に喜んでくれたんです。で、12時を過ぎたら終わり、終わり。それがいいんですよ(笑)。そういう思い出がありますね」

 1985年の広島は連覇を目指したが、2位でフィニッシュ。優勝はランディ・バース内野手、掛布雅之内野手、岡田彰布内野手らで強力打線を形成した阪神だった。そして古葉監督が勇退したのもこの年。西田氏は入団して3年間、その体制で鍛錬を重ねた。「やっぱり古葉イズムというのがありましたね。球団における力もあったと思うし、だから非情にもできたんじゃないかな」と振り返ると「(2021年に)亡くなられたけど、古葉さんに出会えてよかったな、と思っています。感謝しています」と口にした。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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