広島新体制で待っていた“地獄” 持病お構いなし…同僚から漏れた本音「胃から汗が出る」

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

代打の切り札だった西田真二氏が、7年目に遂げた飛躍

 元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)はプロ7年目の1989年、スタメン出場が増え、82試合で打率.355(200打数71安打)、9本塁打、27打点と成績が向上した。前年オフに山本浩二氏が新監督、大下剛史氏がヘッドコーチに就任。2人から「トラ(西田氏の愛称)! チャンスをやるから頑張ってみろ!」とハッパをかけられ、その気になったという。

 阿南準郎監督体制3年目の1988年、西田氏は62試合に出場して、56打数16安打、1本塁打、8打点の成績だった。4月は代打で5試合に出場して5打数3安打の打率6割で発進。その後は好不調に波こそあったが、大事な場面での起用が目立った。「打ち損じしないとか、追い込まれたら粘るとか、そういうことができないとなかなか代打では打てない。1球勝負のつもりで打つってことが代打は大事。で、よく観察すること」と話し、チーム内での立場も確立されていた。

 その“代打の流れ”が1988年のオフに変わった。阿南監督が勇退し、山本監督、大下ヘッド体制に移行。そこからだ。「秋季キャンプ前にキューバ遠征があった。山崎さん(山崎隆造外野手)や、マメ(長嶋清幸外野手)は行かなかったけど、高橋慶彦さんは張り切って参加していた。ヘミングウェイの家に行ったり、観光の方を楽しんでいたけどね(笑)。ピッチャーは白武(佳久)、紀藤(真琴)とか、キャッチャーは植田(幸弘)だったかな。キューバはナショナルチーム。あの当時、強かったけど、その時に俺、打ったんですよ」。

 西田氏は代打ではなく指名打者で出場した。「キューバは金属バットでね。よう打つんだよ。で、カープが1勝4敗だったのかな」。そんな中で気を吐いた。「2試合連続ホームラン。パカーンって場外にも打った。俺って(相手が)初見に向いているんだよね。外国人投手も好きだったし。あの時(広島OBの)衣笠(祥雄)さんが解説で来ていて、その特番で『西田はこういう雰囲気が大好きなんですよ』と言ってくれたのも覚えている」と笑みを浮かべた。

 それがきっかけになった。「我々は木のバットだったけど、あそこで打って(首脳陣が)『代打だけじゃもったいない』って思ってくれたんじゃないかなと思う。(監督の)浩二さんからも、(ヘッドコーチの)大下さんからも『トラ! (スタメンの)チャンスやるから』って言われた。それでちょっと、久しぶりにやる気になったというか……。年齢的にも28で中堅クラスぐらいになっていたけど、そう言われて守備練習ばっかりしたような記憶がありますよ」。

ハードだった秋季キャンプ「2時間は走ったよ」

 山本監督・大下ヘッド体制となり、練習はさらにハードになった。「秋季キャンプには、今まで休みだったベテランも行った。みんな2時間は走ったよ。あの頃は軍隊的なランニングみたいな感じだったなぁ。(捕手の)達川(光男)さんは『胃から汗が出る』とか言っていましたよ」。西田氏は必死になって食らいついたという。「キャンプだけじゃないですよ。オフも走りました。(広島に)三篠橋とかあるでしょ。あの辺の川沿いとか走った。結構走りましたよ」。

 レギュラー獲得のチャンス到来に奮い立った。「ホント、やる気になりました。“豚もおだてりゃ、木に登る”って感じかな(笑)。バットもよく振ったしね。まぁ(1軍打撃コーチの)水谷(実雄)さんにも『トラ! 木に登れ!』って言われましたけどね」。これまでは持病の腰痛を気にして、練習量もセーブしていたが、このオフはそれも考えずに取り組んだそうだ。「そしたら、健康に戻ったんですよね(笑)。腹筋とかよくやったし、鍛えました。ウエートトレもやったし……」。

 山本監督、大下ヘッドコーチ、水谷打撃コーチらにうまく乗せられた形で西田氏はオフを過ごした。課題だった守備練習にも力を入れたことで、翌1989年は、スタメンのチャンスを数多く与えられ、プロ7年目で飛躍を遂げた。「大事に使ってくれたというか、(スタメンの)回数が増えたし、結果も出たしね」。代打だけで終わらなかったプロ人生。まさにDH出場のキューバ遠征での活躍がもたらした新展開だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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