大寝坊で取り残された金沢…電車で帰広→課せられた罰金 直後に告げられた“初”「えーーっ」

元広島・西田真二氏【写真:山口真司】
元広島・西田真二氏【写真:山口真司】

広島OBの西田氏、プロ8年目に初の4番を経験

 代打でもスタメンでもインパクトがあった。元広島外野手の西田真二氏(野球評論家、香川オリーブガイナーズアドバイザー)は、プロ8年目の1990年7月31日の大洋戦(平塚)で初めて4番打者を務めた。いきなり2本塁打7打点の活躍で首脳陣の期待に応えたが、“ここ一番”の勝負強さが目立った。なかには遅刻して罰金を取られてが、すぐに監督賞で取り返したこともあったという。

 西田氏のプロ8年目は初の開幕スタメン(6番右翼)で幕を開けた。この頃は相手先発が左腕予想ならベンチスタートも少なくなかったが、どんな使われ方をしても前向きにこなした。「プロは代打でも(打率)3割前後を打って結果を出し続けるのが大事。代走でも守備固めでも、プロで生きていくには、信頼されるために日頃の練習も大事かもしれないけど、監督にインパクトを与えるってことも大事だよ」とそれを心掛けてきたという。

「監督が“こいつは練習はちょっとあれだけど、試合では集中するなぁ”ってなればね。結果を出せなかったら“練習していないから”って言われるだろうけどね。(当時ヘッドコーチだった)大下(剛史)さんにも『トラ(西田氏の愛称)はそういうタイプだったなぁ』ってよく言われた。練習はしていましたよ。だけど、ややしていないようにも見えたんでしょう(笑)。でも信頼されれば、少々許される部分が絶対あると思う」

 この年の5月、金沢での中日2連戦を終えて、広島に帰る際、西田氏は寝坊するチョンボを犯してしまったという。「目覚ましが鳴らなかったんですよ。起きた時には(選手もチームスタッフも)全員、誰もいなかった」。その日は広島で移動日練習が予定されていたが、当然、大遅刻。「ひとりで金沢から電車に乗って、遅れて練習に行って、罰金を払った覚えがあります」と苦笑したが、そこで話は終わらなかった。

「次の試合(5月19日の大洋戦、広島)で打って、監督賞を頂いてチャラになりました」。3-4の6回裏に西田氏は川端順投手の代打で登場し、逆転3ランを放ったのだ。徴収された罰金をすぐさま取り返す“値千金弾”だった。「何か失敗しても、“トラやったら仕方ない”って思われるようになるってことが大事かな。打てば、練習が足りなくても、やっぱりある程度は免除される部分があるわけで……。まぁ本当のレギュラーは練習する人、体が強い人、結果を出し続ける人、黙々とやる人なんだけどね」。

4番で残したインパクト「気負いはなかった」

 そんなメンタルの強さを、さらに証明したのが7月31日の大洋戦(平塚)。プロ初の4番起用で、2本塁打7打点の大活躍を見せた。「“えーっ、4番かぁ”って思ったけど、まぁ結果を出したもんね(笑)。チームも(10-4で)勝ったし、よかったですよ。気負いはなかった。俺の場合は(中日の)落合(博満)さんや(巨人の)原(辰徳)さんみたいな本当の4番じゃなくて“4番目”だからね。(監督の山本)浩二さんも(ヘッドコーチの)大下さんも喜んでくれた。みんなはびっくりしていましたけどね」。

 初の4番で西田氏は首脳陣にインパクトを与えたが「いやいや、あの時は何か中途半端だったなぁ」と悔しそうにも振り返る。「満塁で犠牲フライだったんですよ。あそこでもう1本、満塁ホームランを打って3本塁打10打点にしなきゃいけない。ああいうことってなかなかできないことなんだからね」と反省したというから恐れ入る。常にそんなことを考えながら、代打でもスタメンでも打席に入っていたわけだ。

 1990年の西田氏は、77試合で186打数65安打の打率.349、13本塁打、36打点の成績を残した。「終盤にスライディングキャッチして剥離骨折。そんなこともあったんですけどね」。怪我は気力でカバーして、スタメンでも実績を積み重ねて、首脳陣の信頼を得た。翌1991年は4番起用がさらに増えて、リーグ優勝に貢献。躍進はさらに続いた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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