イチロー氏、亡き恩師への思い「天才でしたね」 目撃した“鉄拳指導”…指導者に必要な求心力

尊敬する指導者を問われ「真っ先に出るのは仰木監督」
忘れられない恩師がいる。マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏は27日、東京都新宿区のMUFGスタジアム(国立競技場)で行われた体験型スポーツイベント「第2回 イチロー DREAM FIELD DAY(ドリームフィールドデイ)」に参加。トークイベントでは尊敬する指導者を問われ、オリックス時代の監督である仰木彬氏の名前を挙げた。
「尊敬する指導者で、真っ先に出るのはオリックス時代の監督、仰木監督です。指導者って、どうしても『こうしなくてはいけない』と縛ってしまうことが多いと思う。手っ取り早いし、監督ならそう考えておかしくない。でも仰木監督はそれぞれの個性を見極めて、どうやったら伸びていくのか、性格分析が凄かったんですよ」
鈴木一朗として1991年ドラフト4位でオリックスに入団。2年目まで1軍に定着できていなかったが、仰木監督が就任した入団3年目の1994年に登録名を「イチロー」に変更し、レギュラーとして起用されるようになると次々と記録を打ち立てていった。
プロ野球史上初のシーズン200安打を皮切りに7年連続首位打者。MLBでも安打製造機ぶりを示したレジェンドにとって、プロ生活の転機となったのが仰木監督との出会いだったのである。
仰木監督は若き日のイチロー氏の取り組み方を尊重してくれていたという。「割と僕は自由に……いや、割とじゃないな。完全に自由にやらせてもらったんです」。まだ実績を積み上げる前から認めてもらっていたそうで「なぜそんな判断をしたかというと、『放っておいても、こいつはやる』と、恐らく僕が自分に厳しい人間だと評価をしてくれていた」と当時を思い起こした。
そんな仰木監督は、誰に対しても同じスタンスだろうと思っていたイチロー氏。ところがある日、ベンチ裏で鉄拳を含む厳しい指導をしている姿を目撃した。「僕に接しているのと同じだろうと思ったのでビックリしました。自分に甘い選手に対しては、厳しい。当時は厳しい指導が当たり前の時代でしたけど、ビンタとかしていて衝撃的でした」。温厚そうな指揮官の意外な一面を垣間見たのである。

天才打者がうなる名指導者「見事でした」
自分に妥協せず、ストイックに野球と向き合い続けたイチロー氏は、仰木監督の勝負師としての姿にも共感していた。「指導者として『この監督のために勝ちたい』と思わせたら勝ちです。選手はゲームの駒と感じたら、そんな気にはなれないですから」。仰木マジックとも称された巧みなタクトで勝利を重ねた名将は、選手の士気を高めるすべも持っていたのだ。
実際にイチロー氏が入団4年目の1995年は、阪神大震災を乗り越えてリーグ優勝。翌1996年もリーグ制覇を果たすと、日本シリーズでは巨人を4勝1敗で退けて球団19年ぶりの日本一に輝いた。「選手の心意気を引き出す。そういう意味でも仰木監督は天才でしたね」。天才打者をもうならせる名指導者だったのである。
「この人のために頑張りたいという思い。それがチームの優勝につながりましたから、それは見事でした」。今は天国にいる恩師との思い出は尽きない。感謝の思いも消えない。
衣料品メーカー「ユニクロ」の協力で、次世代の夢を育む活動として実施された今回のイベントには小中学生165人が参加。指導者向けのプログラムも実施された。指導者に必要な要素として挙げたのが観察力で、人を観察することに関して「仰木監督は達人です」と振り返る。指導する側の立場となった現在、イチロー氏の中には仰木監督から学んだ姿勢も根付いている。
(尾辻剛 / Go Otsuji)