日本に“真の助っ人”は「少なくなった」 燕OBが忘れぬ衝撃…MLB218発男に感じた真髄

元盗塁王の飯田哲也氏、ヤクルト入団1年目に“赤鬼”ボブ・ホーナーさんが来日
メジャー通算218本塁打を放ったボブ・ホーナーさんが5月に亡くなった。ヤクルトでプレーした1987年には、その強打で日本列島を震撼させる「ホーナー旋風」を巻き起こした。盗塁王の獲得経験もあり、スワローズなどで走攻守3拍子揃った外野手として活躍した野球評論家の飯田哲也氏は、ホーナーさんが在籍したシーズンがルーキーイヤー。「とにかく鮮烈でしたよね」。“赤鬼”と称された助っ人内野手の思い出を聞いた。
後には外野手に転向して“名手”の名をほしいままにする飯田氏だが、高卒1年目の当時は捕手で入団した。プロの凄さに戸惑うばかりの日々の中、ヤクルトは4月13日にホーナーさん獲得を発表した。「僕はホーナーさんの事を全く知らなかったんですよ。アメリカでどれだけ活躍していたとか、全然知らなかった」。
ホーナーさんは、大リーグドラフト全体1位指名で1978年にブレーブス入り。マイナーを経験せずにデビューを果たすや、89試合に出場して23本塁打で新人王に輝いた。来日前年の1986年には1試合4本塁打の離れ業も演じた。正真正銘のメジャーリーガーだった。
ホーナーさんは、いきなり実力を見せつけた。初出場した5月5日の阪神戦(神宮)で、仲田幸司投手から右翼ポール際へ流し打つ、挨拶代わりの本塁打。翌6日の同カードは今も語り草のワンマンショーとなった。1回に左翼席の中段まで運ぶと、5回にも左中間席の中段へ放り込んだ。7回はバックスクリーンにぶち当てた。3本塁打を浴びた池田親興投手のみならず、両チームの選手とも信じられないといった表情を浮かべた。4万5000人の観衆は熱狂した。歴史に例えられ、“黒船襲来”とも表現された。
飯田氏は記憶を辿る。「戸田の合宿所のテレビで見たんじゃなかったかなぁ。その頃は全国中継の放送もなかったから、ニュースだったと思いますよ。もう、ただただ『すげぇー』しかない」。
バースら当時は助っ人が高レベル 村上宗隆に岡本和真「今は日本の大砲が米国へ」
超大物の外国人と2軍で修行するルーキー。立場は大きく離れていたが、至近距離で観察する機会が訪れた。「1軍の練習の手伝いがあるんですよ。バッティングキャッチャー。2軍のコーチから『明日、お前は手伝い。何時までに神宮』とか伝えられて、それで戸田から神宮まで行きました。電車でですよ。早く到着すると1軍の練習前に(兼任コーチの)若松(勉)さんが『ちょっと打たしてもらえ』と仰ってくれたりして、自分の練習もできました」。
ホーナーさんの打撃をマスク越しに目の当たりにし、違った意味で驚いたという。「思いっきりは振らないんです。バッティングをする時間までストレッチをして、自分の番になったらチョコチョコ、ポンポンと打って終わり、すぐ上がりです。5分を2回とか。練習の時はただ普通にやっていたという感じでした」。なのに試合では桁違いの打球を飛ばした。シーズン最終的には93試合で31本塁打をマークした。
飯田氏は当時の外国人のレベルの高さを強調する。阪神バース、広島ランスら多士済々。「ホーナーさんは言うまでもないけど、あの頃に日本にやって来た選手たちは皆凄かったですよ。『助っ人』というだけあって、どのチームにもパワーあふれるホームランバッターがいました。今は本当の『助っ人』って呼べる選手が少なくなった気がします」。
飯田氏は時の移り変わりを感じる。ドジャースの大谷翔平投手は別格としても、今シーズンから大リーグ挑戦のホワイトソックス・村上宗隆、ブルージェイズ・岡本和真の両内野手が長打力でチームをけん引しているのだ。「今は逆に日本からホームランバッターがメジャーに行っちゃう時代なんだねぇ」。
(西村大輔 / Taisuke Nishimura)