大谷翔平は「記憶か、記録か」 10年前の質問が愚問に…“Aロッド超え”300号で出した答え

「記憶に残る選手になりたいか、記録に残る選手になりたいか」
【MLB】ロッキーズ 4ー3 ドジャース(日本時間8日・ロサンゼルス)
あれから10年が経った。
2016年、日本ハムを日本一へ導いた大谷翔平投手にインタビュー取材をした。当時22歳だった大谷に、少し意地悪な質問を投げかけた。
「二刀流を続けていれば、どうしても個人成績は伸ばしにくいと思います。このまま記憶に残る選手になりたいですか。それとも記録に残る選手になりたいですか」
当時は「二刀流では個人記録は伸ばしにくい」という考えが当たり前だった。それだけ日本ハムの起用法は徹底されていた。登板前日と翌日は必ず休養日。故障につながる可能性が少しでもあれば、たとえクライマックスシリーズのような大一番で、大谷本人が出場を志願しても起用しなかった。
そんな環境を見てきたからこそ、記者は「記憶に残る選手になりたい」という答えが返ってくると思っていた。
しかし、大谷は少し考え込むように「う~ん」と口にすると、静かに言った。
「僕はどっちも目指していくと思います」
当時、その言葉の意味を本当に理解できていただろうか。
エンゼルスでは1年目こそ日本ハム時代と同じように登板前後を休養日に充てていた。しかし、ジョー・マドン監督が率いた2021年からは登板前後も指名打者として出場。同年に46本塁打を放って本塁打王争いに加わると、その後も打撃成績は飛躍的に向上した。2023年、2024年は2年連続で本塁打王を獲得し、昨季は自己最多55本塁打。投手としてもトップクラスの成績を残しながら、打者としても歴史を塗り替えていった。

日本ハム時代には“心霊現象”も…「幽霊かと思ったら大谷だった」
その驚異的な活躍を支えてきたのは、誰よりも先を見据えた肉体づくりだった。
「トレーニングルームから音がして、幽霊かと思ったら大谷だった」
千葉・鎌ケ谷市内や札幌市内の日本ハム選手宿舎では、他の選手が寝静まった深夜、一人で黙々とトレーニングを続ける姿が何度も目撃されていた。
「今やるしかないんです。僕には時間がないんです」
そう話していた大谷は、花巻東高時代から5年先、10年先を見据えて体を鍛え続けてきた。未来を見据えた日々の積み重ねが、今の大谷をつくり上げたのだと、改めて思う。
あの質問から10年。押しも押されもせぬスーパースターとなった32歳は、史上170人目となる通算300号を達成した。打者として1102試合での到達は、通算696本塁打を誇るアレックス・ロドリゲスの1117試合を上回り、歴代5位のスピード記録となった。
あの日、「どっちも目指します」と答えた22歳は、その言葉を本当に実現してしまった。
記憶にも残る。記録にも残る。
いや、その枠組みさえ軽々と飛び越えていくのが、大谷翔平という選手なのかもしれない。やはりユニコーンは、いつだって想像を超えてくる。
(小谷真弥 / Masaya Kotani)