イチローの言葉はなぜ記憶に残るのか? 影響受けた“安打製造機”…重要だった「特別な記録」【マイ・メジャー・ノート】

子どもから大人まで、あらゆる人の心を惹きつけるイチローの持つ“言葉の力”とは?【写真:アフロ】子どもから大人まで、あらゆる人の心を惹きつけるイチローの持つ“言葉の力”とは?【写真:アフロ】

日本の小中学生に伝えたイチロー“らしい”言葉

 マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏が、日本で行われた体験型のスポーツイベントで“らしい”名言を残している。6月27日に東京の国立競技場で開催されたそのイベントで、簡にして要を得た独特の表現で参加した小中学生たちに技術指導を行ったイチロー氏の言葉は、なぜ、刺戟を生むのか――。その深淵をのぞく。【全2回の前編】

 さすがだな、と思った。

 イベントを取材したフルカウントの尾辻剛記者によると、キャッチボールでは上体を開かずに相手の胸を狙って投げるという下半身主導の大切さを説き、そのポイントについてこう言ったという。

「手を使ってはダメ」

 目の前で行われている動きに逆説的な表現で光を当ててイチロー氏は肝の部分を浮き立たせている。意表を突かれた参加者たちの顔が浮かんでくる。

 現役時代からイチロー氏は忘れがたい言葉を幾つも残している。今回のイベントから遡ること10年、打撃について強く記憶に残る声を囲み取材で聞いた。

 2006年6月8日、マリナーズは本拠地セーフコ・フィールドでツインズと戦った。前年にツインズの正捕手の座に就いた若き好打者ジョー・マウアーが4安打を放つと、イチローも4本を連ねた。その試合後だった。マウアーの高校時代に話が及ぶと、いつも淡々と試合を振り返るイチローの表情がにわかに変わった。

ハイテンションのイチローが「ウソ、ウソだぁ!」

「高校時代に三振が1度もないんですか? ウソ、ウソだぁ! 試合数が少なかったんでしょ? 怪我して休んでたんじゃないの?」

 ハイテンションになると、少し間を置いて続けた。

「僕の当てる技術には勝てないですよ。誰もそれは無理でしょう。それは“黒”ですよ。でも、彼にはもっとガンガンと打って欲しいね。その方が刺激になるでしょ。面白いもんね」

MLB通算3089安打を放ったイチローには独特の感覚で磨かれた技術論が存在する【写真:アフロ】MLB通算3089安打を放ったイチローには独特の感覚で磨かれた技術論が存在する【写真:アフロ】

 ライバルの出現を歓迎したイチローは、同カード3連戦でマウアーを2本上回る11安打を放ち、日米通算2500安打まで3本に迫った。力みのないスイングのマウアーを絶賛すると自身の打撃について「手を出さないからヒットが出る」と、その極意を語った。件のイベントで小中学生に説いたキャッチボールのポイントと重なるスリリングで逆説的な表現である。

 野球の技術論には、饒舌で散文的なものも多くあるが、イチローのそれは詩的でシャープである。詩人が磨きに磨きをかけて一篇の詩を創るように、イチローは自分で考え技術を練り上げてきた過程からキーワードを抽出する。言い換えるなら、それは、培った独自の技術に裏打ちされた文脈を引き出す“補助線”である。

通算3053安打のカルー氏も称えたイチローの技術

 イチローが口にした「手を出さないからヒットが出る」に、補助線を引いた偉大な打者がいる。メジャー実働19年で4年連続を含む通算7度の首位打者に輝き、15年連続3割を記録したパナマ出身の安打製造機ロッド・カルーである。

 3000安打の偉業に挑んでいたイチロー(マーリンズ)についてカルー氏に聞いたのは、2016年の5月だった。体が泳がされてもバットを巧みにコントロールして渋いヒットを放つ打撃をカルー氏は見事に解きほぐした。

「イチローはバットを振る時に上体が前へ動く特徴があるが、体をしっかりコントロールしながら、バットを握った両手を体の前には出さずに後ろに残すことができている。これは秀逸だ。なぜなら、相手の緩急によって、たとえ体が前に出てしまっても手が後ろにあれば、最後は、バットの操作を利かせることができボールに当てる可能性が生まれてくる。私がこれまで多くの選手に説いてきた『腕をできるだけ長く後ろに保ちなさい』を体現してくれるイチローの打撃を見ていると本当に心が躍る気持ちになる」

 同年7月、前年の秋に心臓発作に見舞われ腎臓と合わせて移植手術を待つ身となっていたカルー氏は、医師からの許可を得て特別に電話インタビューに応じてくれた。その後日、イチローへ渡してほしいという手紙が私に届いた。8月7日、節目の大記録を前にして停滞していたイチローは遂にメジャー通算3000安打を達成した。

 そして、2017年7月6日、敵地セントルイスでカルー氏の通算3053安打を抜いたイチローはしみじみと言った。

MLB通算3053安打を誇る“安打製造機”ロッド・カルー氏【写真:アフロ】MLB通算3053安打を誇る“安打製造機”ロッド・カルー氏【写真:アフロ】

イチローが仰ぎ見る数少ない野球人「強烈な印象を抱いた」

「誰の記録(を抜いた)かということが重要。ロッド・カルーは王さんに通じるものが僕の中にはある。そういう意味で特別な記録、関わりですね」

 日本プロ野球で868本の本塁打を放ちイチローが最も尊敬する野球人が王貞治氏(ソフトバンク球団会長)である。その特別な存在と比肩するほどに、イチローが仰ぎ見る数少ない野球人がロッド・カルー氏である。

「(引退してから)時間が経つと、野球のことをすごく簡単に出来ると思う人が多いじゃないですか。でも、あれだけの成績を残した人が、あの雰囲気でいられる。選手として、すごい人はいっぱいいますけれど、時間が経ってからもこの人すごいなって思える人はなかなかいない。その意味でもロッド・カルーは僕の中で、アメリカで会った人の中では強烈な印象を抱いた人ですね」

 今年4月、シアトルで行われた銅像序幕式後の会見で、私は、メジャーの球場で初めて目にした銅像について聞いた。イチローの答えは「ロッド・カルー」だった。これを運命の交錯と言えば穿ち過ぎだろうか。

ツインズの本拠地、ターゲット・フィールド前に立つロッド・カルーの銅像【写真:木崎英夫】ツインズの本拠地、ターゲット・フィールド前に立つロッド・カルーの銅像【写真:木崎英夫】

 作家の井上ひさしの言葉に「本はゆっくり読むと、速く読める」というのがある。やってみた。丁寧に読むと、著者の文体や論理のクセが体になじみ、その後のスピードは確かに増す。伝説のゴルファー、ウォルター・ヘーゲンは正確なショットを生むのは「手のグリップではなく、両足のかかと」だと言い、インパクトで鋭角に打ち込もうとするのではなく、かかとを地面から離さない意識を持つことが大切だと説いている。

 1本の補助線が既成の思い込みを斥ける。これを熟知しているイチローは、別の修辞技法も持つ――。【後編へ続く】

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【マイ・メジャー・ノート】
1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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