アスレチックスを買収したルー・ウルフ
本格的な夏を迎え、書店のスポーツ棚には話題の新刊が並ぶ。学生は長期の休みに入り、会社勤めの人も1年で最も長い休暇を楽しむこの時期は、ネット通販も含め野球本の売れ行きも伸びるという。
私が手に取ったのは、アスレチックスのオーナーだったルー・ウルフの著書『Moments』である。周知の通り、チームは2024年限りでオークランドを離れ、現在はカリフォルニア州都サクラメントにあるジャイアンツ傘下マイナー3Aのサター・ヘルス・パークを暫定本拠地とし、2028年にラスベガスで開場予定の新球場を待っている。
あれほど繰り返された新球場計画は、なぜことごとく頓挫したのか。その舞台裏を、当事者はどう語っているのか。その1点に興味を引かれた。
ルー・ウルフは、サンフランシスコ南部のサンノゼ一帯で不動産開発事業に成功した実業家である。本人は望んでいないものの、カリフォルニアの政財界では広く知られた存在でもある。2005年、ウルフはジョン・フィッシャーとともにオークランド・アスレチックスを買収した。その際、フィッシャーの父であり「GAP」創業者のドナルド・フィッシャーからこんな助言を受けている。
「とにかく損を出さないように最善を尽くしなさい。スポーツで1度損失が出始めると、それを食い止めるのは極めて難しくなる」
ビジネスの鉄則とも言えるこの言葉を胸に、2人は新球場建設へ動き始めた。1968年にカンザスシティから移転して以来、本拠地としてきたコロシアムはNFLレイダース(2020年移転)との併用で老朽化が進み、ファン離れが深刻化していた。低予算球団にとって、新球場建設は避けて通れない課題だった。
行政を巻き込む難題であることを承知のうえで投資したウルフは、「カフカの小説のように複雑だが興味深かった」と振り返る。関係者とのやり取りについて明かしていない。それでも後に「ハワード・ターミナル計画」と呼ばれる構想について、当時のオーナーだったスティーブ・ショットとケン・ホフマンから調査を依頼されたことは、本書で初めて明らかにしている。
地域開発で豊富な実績を持つウルフには、大きな期待が寄せられていた。
「できるだけ早く球場問題の解決に取り組みたいと考えていました。オークランド市とアラメダ郡の行政、土地開発業者、そしてショットとホフマンに、このチームへの思いを率直に伝えたのです。すると、正式に球団株を取得する前に、新球場候補地の調査を依頼されました。後日、彼らは移転計画を公表しましたが、それはファンを安心させたかったからでしょう」
「ハワード・ターミナル計画」とはどういうものだったのか――。
オークランドとサンフランシスコを結ぶベイブリッジ近郊のハワード・ターミナル地区に住宅や商業施設を整備し、その一角にアスレチックスの新球場を建設する壮大な再開発構想だった。2021年にはオークランド市とアラメダ郡が推進役となり正式に動き出そうとしたが、インフラ整備費の負担や、新球場開場後25年間の移転禁止条項などで折り合いがつかず、最終的に白紙へ戻る。この時、ウルフはすでに共同オーナーを退いていた。交渉の矢面に立っていたのは、ジョン・フィッシャーである。
オーナー就任前から現地を見ていたウルフは、語を継ぐ。
「この地区への移転はほぼ不可能だと思いました。これまで使ってきたコロシアムの敷地内に新球場を建てることだけが、アスレチックスがオークランドに残る唯一で最善の方法だと考えました」
長年、不動産開発に携わってきた経験が導いた結論だった。
振り返れば、この時点で共同オーナー2人の描いていた将来像には、すでに小さくない隔たりがあったのかもしれない。地元記者たちは、フィッシャーに当初からオークランドへ残る意思はなかったと口をそろえる。老朽化したコロシアムを放置し続けた姿勢にもその考えは色濃く表れていた。ファンの目が届かないところで言えば、ビジタークラブハウスからフィールドへ向かう通路では水漏れが放置され、選手も記者も足元を気にしながら歩いた。記者席の安価な椅子も最後まで変わらなかった。
「マネー・ボール」の祖、アスレチックスのアナリストは激減していた
その経営姿勢は、チーム作りにも及ぶ。
2020年オフにFAとなったマーカス・セミエンへの提示額は1年1250万ドル(当時のレートで約13億円)。しかも、250万ドル(同2.6億円)だけを先に支払い、残る1000万ドルは10年かけて分割払いにするという内容だった。さらに、ラスベガス移転が決まった2023年時点で、低予算球団レイズが44人のアナリストを抱える一方、「マネー・ボール」の祖であるアスレチックスはメジャー最少の8人。野球を数理分析して統計学的に見る指標を武器に球界を驚かせた球団の面影は、そこにはもうなかった。
2015年、フィッシャーに“潮時”を告げられたウルフは、保有していた10%の球団株を手放す。81歳の秋だった。
オーナー時代を「人生に潤いを与えてくれた」と振り返る一方で、時が経って、90歳になった今だからこそ語れる本音も本書には残している。
「あの頃、私ははっきりと認識をしていなかったのですが、アメリカのプロスポーツチームの価値は、数百万ドル(数十億円)規模から数十億ドル(数百億円)規模へと急騰しました。その恩恵を十分に受けることなく、私は退いたのです」
スポーツビジネス界で、ウルフは誠実で公正な人物として知られてきた。その彼が本書でめずらしく感情をのぞかせる相手が、ベイエリアのライバル、サンフランシスコ・ジャイアンツである。
ウルフは、富裕層が多いサンノゼ地区への移転構想を温めていた。しかし、市場を侵されるとしてジャイアンツは猛反対した。もっとも、彼のわだかまりは、それだけではない。
両球団には互いを支えてきた歴史があった。
1980年代後半、マーク・マグワイア、ホセ・カンセコ、リッキー・ヘンダーソンらを擁したアスレチックスが黄金期を迎える一方、ジャイアンツは低迷していた。当時、アスレチックスは将来自らが移転問題に直面するなど想像もせず、サンノゼ地区の営業権をジャイアンツへ譲った。ところが2000年代に入ると、新球場の完成とバリー・ボンズ人気で立場は逆転する。ウィスコンシン大学時代からの親友でもあったバド・セリグ・コミッショナーも「ジャイアンツとの合意」を条件とし、事態は動かなかった。
勝てない。観客が減る。収入が減る。主力を引き留められない。そこへ球場問題が重なった。近年のアスレチックスを覆っていた悪循環を、一行で表すのであればこうなる。そんな中でも、ウルフは球場へ足を運び続けた。その姿はファンの共感を呼び、ほとんど姿を見せなかったフィッシャーは、「ドケチ野郎」と罵声を浴びる。
2023年9月26日、コロシアム最後の公式戦。4万6889人で埋まったスタンドから「Fuck John Fisher!」の大合唱が起きた。フィッシャーがその声をどう受け止めたのかは分からない。もっとも、球場周辺の治安の悪さには同情する部分もある。私自身、それを身をもって知った。
車上荒らしで通報も「怪我人か殺人事件でなければ出動しない」
青木宣親がジャイアンツに在籍していた2015年夏だった。
コロシアムから車で数分のショッピングモールにあるハンバーガーチェーンで食事を終えると、車の窓ガラスが割られ、車内に置いていたバッグはなくなっていた。店内から車は見えていたが、わずか30分ほどの出来事だった。オークランド市警へ電話すると「怪我人か殺人事件でなければ出動しない。ホームページで被害届を出してほしい」と告げられた。
「油断ですね……」。そう言った友人記者も、2年後、同じ場所で被害に遭っている。
店は、大谷翔平が「一番好き」と話していた「In-N-Out Burger」だった。全米屈指の人気チェーンだが、この店舗では、車上荒らしや強盗が相次ぎ、組織的窃盗団の存在も明らかとなり、2024年3月に閉店となった。
『Moments』は、ありがちな自伝ではない。90歳になったウルフが、長年胸にしまってきた出来事や冒険と呼ぶにふさわしい挑戦を振り返る回想録である。10年間のオーナー時代の喜びも苦さも、豊穣の時を迎えたのだろう。断片的に語られるエピソードの一つひとつが、上質な短編小説のような余韻を残す。
ユーモアを交えながらも、どこかに悪意を漂わせる暴露本とは明らかに異なる。それでもページを閉じた時、よく分からなかった「あの移転騒動」の輪郭が、これまでより少し鮮明になっている。116ページを読み終え、そういう1冊だった。
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【マイ・メジャー・ノート】
1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)