原辰徳は「凄いオーラ」「好青年」 代表合宿で初対面…納得した“アイドル”人気

中日などで活躍の中尾孝義氏 甲子園のスター江川卓は照れ屋、原辰徳は好青年
今年から日米大学野球選手権が一時休止され、新国際大会「ワールド・カレッジ・ベースボール・チャンピオンシップ」が行われた。7月に日本、米国、韓国、台湾の4チームが開催地・台湾に集い、日本代表は初代王者に輝いた。プロ野球の中日でMVPに輝くなど3球団で名捕手として鳴らした野球評論家の中尾孝義氏は、専大時代に日米大学野球の代表メンバーに選ばれた。「大学生にとって日米大学は憧れのまた憧れでした。JAPANのユニホームにも袖を通せるしね。凄く楽しかったなぁ」。ほぼ半世紀前の記憶を辿ってもらった。
中尾氏は3年生だった1977年の第6回大会、代表に初めて名を連ねた。この年は米国開催。日本は第2回以降4年連続シリーズで負け越しており、「絶対に勝とう、負けたくないと思ってましたよ」と述懐する。大会は7月から。アメリカ代表が直前での顔合わせだったのに対し、日本は6月15日から駒大グラウンドを拠点に合宿スタート。三協精機、日本鋼管と社会人の強豪とも計3戦、練習試合を組んだ。代表を指揮する駒大の太田誠監督を「“堅い”ってイメージでした」と振り返る。必勝を期し、誰もが真剣に汗を流した。
選手たちは、オールジャパンに相応しい豪華絢爛ぶり。投手陣は江川卓(法大、後に巨人)、松沼雅之(東洋大、西武)、鹿取義隆(明大、巨人など)ら。野手陣も原辰徳(東海大、巨人)、石毛宏典(駒大、西武など)、古屋英夫(亜大、日本ハムなど)、豊田誠佑(明大、中日)と多士済々だった。報道陣の注目は高校時代から甲子園で活躍した江川氏と原氏に集中した。
中尾氏は江川氏と高校時代に“対戦”経験がある。江川氏の作新学院(栃木)が春の選抜甲子園の前、中尾氏の滝川高校(兵庫)で合同練習。中尾氏はシート打撃で剛速球をファウルで粘り、カーブを投げさせた。時は流れ、この合宿で“怪物”江川の投球を初めて受けた。「高校の時の話もしたんだけどね。だけど俺の事を、最初は『全然覚えてない』って言うんです。段々『そういえば、そういう選手もいたな』なんてね。アイツ、そういう言い方をするんですよ」と笑う。“怪物”が照れ屋と知った。
原氏はメンバー中、唯一の1年生。アイドル的な人気を博す右バッターは、物怖じする事なく、明るく朗らかだった。「原とはこの時に初めて沢山喋った。パッと見た感じだけで、凄いオーラがあったよね。いい顔してるし。でも、そんな“スター”みたいな振る舞いは全くない。先輩を立てて礼儀正しくてね。まさに好青年という言葉がピッタリ」。
ドジャー・スタジアムの第6戦は衛星中継 大会前のハワイでは女の子4人組とお喋り
日本代表チームは時差への体慣らしのため、いったんハワイに滞在し、最終調整を経て米国本土入り。7月2日(日本時間3日)から10日までロサンゼルス、ネブラスカ州オマハを転戦し、7試合を戦った。初戦は3-0から逆転負けし、第2戦は延長14回の末に屈する連敗発進。以降も接戦続きながら通算2勝5敗と米国に5連覇を許した。大会MVPはハワイ出身で日系3世のデレク・タツノ投手。この左腕は後に社会人プリンスホテルで中尾氏と同僚になった。中尾氏は全試合で先発マスクをかぶり、通算28打数7安打。「アメリカは日本よりはパワーはあったけど、そんなに強いとは感じなかった」という。
第6戦はMLBが使うドジャー・スタジアムが舞台だった。「観客席が高い所まであったりして“凄い”って驚いた。やっぱり感動したよね」。プレーボールは午後9時と遅かった。日本で、NHKがこの試合を昼過ぎから衛星中継していたのだ。「ナイターはほぼ初めて。僕がパスボールをしちゃうんだよ。ピッチャーの松沼は眼が悪くてサインが見にくかったみたい。スライダーのサインを出したら真っ直ぐが来た。それで対応しきれずに捕れなくてね」。悔しいミスも今となれば懐かしく貴重な思い出に変わる。
思い浮かぶのは野球だけではない。「ハワイで練習が終わった後、僕と松沼、鹿取、石毛で街をぶらぶら歩いていたら、同じ4人組の女の子たちと出くわしてね。意気投合してお喋りした。いやー、盛り上がったなぁ。アメリカでは日米の代表一緒にバーベキューパーティーをやったりね」。中尾氏は、まるで昨日の事のように覚えている。代表招集から日本帰国までの1か月間は、忘れ得ぬ青春の1ページなのだ。
(西村大輔 / Taisuke Nishimura)