1999年6月5日、ドジャース対エンゼルスで起きた大乱闘
取材現場で遭遇し、記事化の過程で捨ててきた英語の単語や表現で印象的なものがたくさんある。時間とともに発酵したそれらに背景を補完し、記憶のパラテクストにしたのが、文字だけで場面が眼前に立ちあがってくる「言葉のしずく」である。ここから絞り出す一滴一滴には等身大のメジャーが映る。今回の一滴は、ダンスのタンゴに喩えた“喧嘩両成敗”について。
▶ “The thing I was arguing [with the umpires] about is that is takes two to tango.” 私が抗議していたのは、喧嘩両成敗ということ。(デイビー・ジョンソン)
『two to tango=タンゴは2人で踊るもの』
1999年6月5日。初夏の日差しに包まれたドジャースタジアムは、エンゼルスとの交流戦「フリーウェイシリーズ」で4万5000人を超えるファンで埋まった。家族連れのファンが多かったその試合で、子どもには見せたくない光景が5回に飛び出した。
5回のドジャースの攻撃。走者を一塁に置き、韓国人右腕・朴賛浩(パク・チャンホ)投手がバントで一塁線に転がすと、ボールを素手でつかんだティム・ベルチャー投手にタッチを受けてアウトになった。プレーはそこで終わるはずだった。ところが、胸にタッチされた朴が身構えた。
巨人で2年間プレー…ド軍ジョンソン監督が露わにした不満(乱闘の映像も)
一瞬、互いに動きを止めた2人。「早くベンチへ戻れ」。そう言わんばかりにベルチャーが朴を追い払おうとすると、テコンドーを習う朴の右脚が鋭く跳ね上がり、右足のスパイクはベルチャーの脇腹あたりを襲った。
球場中が凍りついた。乱闘は瞬く間に広がり、朴は退場。ベルチャーは続投となったが、6回はアウトを1つも取れずに降板した。試合後、会見を拒否したベルチャーはエンゼルス広報を通じてコメントを出した。
「揉め事になることなどなかったというのが私の見解です。続投させてくれた審判には敬意を表します」
一方、朴は「身の危険を感じるほどきついタッチだったからああなった」とだけ話し、囲みは終わった。
監督室は地元メディアでいっぱいになった。
「フィールドで2人の選手が争う時、私はどちらか一方を大目にみるというのはしない。ただ、熱くなっている時には何かが起きる。胸にボールを強く押し付けられて腹を立てない選手はいない。だから、“タンゴは2人で踊るものだ”って、審判員に抗議したんだ」
ジョンソン監督は、両者に非があるということを「two to tango」で言い表し、審判の判断に不満を示した。
実際の乱闘シーン【動画:MLB公式Youtubeチャンネル】
7試合の出場停止&3000ドルの罰金…朴賛浩への厳しい声
乱闘から3日後、沈黙を守っていたベルチャーがようやく口を開いた。
「あれは野球の試合だ。もし自分の妻や子どもが道で襲われたら、どんなことをしてでも守る。でも、フィールドにはフィールドのルールがある。文化的な違いはあるのかもしれないが、この国の言葉を習っているのなら然るべきマナーというのも学ぶべきだ。あんな挑発を受けて何もしない方がおかしい」
そして最後に、こう言い切った。
「彼は私の頭を蹴り落そうとした。そんな行為が許される場所など、どこにもない」
ナショナル・リーグは朴に7試合の出場停止と3000ドル(当時で約36万6000円)の罰金を科している。
この一件で、朴には厳しい声が上がった。50年近く野球界を見続けてきたアスレチックスのビル・リグネイGM補佐は、「あれほど悪質な乱闘は見たことがない」と切り捨てた。
3年連続2桁勝利も不安定な投球…朴賛浩が抱えていたストレス
この年、朴は極度のストレスを抱え込んでいた。それが“事件”の要因の1つになったと話す地元記者もいた。
1997年から3年連続2桁勝利を挙げていた朴だが、投球は不安定だった。許した本塁打は自己ワーストの31本。防御率も5点台と悪化。数字だけを見れば不振の1年だった。だが、数字だけでは語れないシーズンでもあった。
開幕前から続いた契約交渉は決着せず、不安を抱えたままシーズンへ入った。メッツから加入したトッド・ハンドリー捕手と呼吸は合わず、新しい投手コーチへの戸惑いもあった。4月にはエクスポズ(現ナショナルズ)のフェルナンド・タティス(現パドレスのタティスJr.外野手の父)に1イニング2本の満塁弾を浴びた。乱闘の日も満塁本塁打を浴び、マウンドで見せる表情にも、いつもの落ち着きはなかった。
人は一つの出来事だけで突然変わるものでもない。ベルチャーのタッチは、その積み重なった感情に最後の火をつけたのかもしれない。
騒動の翌日、ロサンゼルス・タイムズの名物コラムニスト、ビル・プラスキーは、皮肉の利いた一文を書いた。
「パクが蹴ったのはベルチャーではない。自分自身だ」
ジョンソン監督が使った「two to tango」の重み
あの日、ドジャースタジアムの客席には、遠く韓国から孫の試合を見るためにやって来た91歳の祖父がいた。誰よりも胸を痛めていたのはその人ではなかったか。
ジョンソン監督が使った「two to tango」は、乱闘の責任を分け合うという意味だけには聞こえない。四半世紀が過ぎた今も、この言葉の重みはずっと変わっていない。
◇◇◇◇◇
【マイ・メジャー・ノート】
1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)