1993年にヤクルトのリーグ優勝&日本一に貢献したレックス・ハドラー氏がFull-Countのインタビューに応じ、日本での思い出を熱く振り返った。野村克也監督に食らった“ボヤキ”、対戦して驚愕した日本人投手とは――。
同年にヤクルトに加入したハドラー氏は、古田敦也、池山隆寛、広沢克己らスター選手が揃う中で主に8番打者を務めた。120試合に出場し、打率.300、12本塁打64打点をマーク。“ミミズを食べた男”として記憶しているファンも多いだろう。
前年には二塁手のジョニー・レイが途中退団、途中で獲得したジョニー・パリデスも結果を残せず、ハドラー氏に期待が寄せられていた。しかし守備では失策が多く、直接“ボヤキ”を食らうこともあった。
「彼によく監督室に呼び出されてさ、座らされてガガガガ~って怒鳴られるんだ。通訳に『監督、あまり嬉しくなさそうだけどなんて言ってるんだ?』って聞いたら、『お前のせいで負けてるって言ってます』ってさ。ハハハ」
「春季キャンプで2番打者だった時にヒットエンドランのサインを見落としてさ、8番か9番打者に下げられたんだ! 良い打者がたくさんいたから、それ以来二度とサインを出してくれなかったよ(笑)」
それでもハドラー氏は折れなかった。「俺は『日本の野球に慣れようとしているところだし、チームの力になって日本シリーズ優勝に貢献するって伝えてくれ』と言って深々と頭を下げた。彼が俺を嫌っていても気にしなかった。俺は彼が好きだったし、当時はただ日本でプレーできるだけで幸せだったからね」。結果的にリーグ7位の打率.300を記録。チームでは.308の古田に次いで2番目の数字だった。
印象的な2投手とは「広島にいた左投げの投手って誰だっけ?」
ハドラー氏が尋ねてきた。「広島にいた左投げの投手って誰だっけ? 腕をムチみたいにしならせて投げるやつだ」。筆者が何人かの名前を挙げると、大野豊氏だったと判明。「そうだ! オオノだ!」と目を見開き、思い出を語りだした。
「彼からホームランを打って『オー、ノー(Oh no!)』って言いたかったんだ。俺はよくベンチで野村監督を笑わせようとしていてね。球場でかかってる歌があったろ?」
「広島の『カープ、カープ、カーブ! ヒロシマ~』って歌。あれをベンチで真似すると、監督が笑いを必死に堪えるんだ」
印象的だった投手を訪ねると「圧倒的にサイトウ(雅樹)だな! あんなの見たことなかった! 彼はジャイアンツだったよね」と即答した。
「日本の投手に慣れるのが大変だったね。守備やセカンドでのダブルプレーにはプライドを持っていたけど、投手を攻略するのが一番難しかった」
「たった1年しかいなかったのに、俺を覚えてくれているのは本当にありがたいし、日本の人を愛している。球場に入った時のファンの礼儀正しさは忘れられないんだ。『ガンバッテ!』って言われたりね。本当に嬉しかった」
たった1年でも、日本で過ごしたかけがえのない日々はハドラー氏の深く心に刻まれていた。