指名漏れ→翌年に“クビの危機” 幻だったプロ入りの世界…西武右腕を変えた一言

「これが最後のユニホームになるかもしれない」と覚悟して入部
西武の貴重な中継ぎ右腕・森脇亮介投手は、2023年に「右上腕動脈閉塞症」を発症した。手術、リハビリを経て今年7月3日、ほっともっとフィールド神戸で行われたオリックス戦で、1087日ぶりの1軍復帰を果たした。うれしい復活の年となったが、一方で衝撃的なニュースも耳にした。4年間在籍した社会人野球・セガサミー野球部の廃部である。
都市対抗出場14回などの実績を持つセガサミー野球部の廃部が発表されたのは、5月14日だった。会社の経営環境の変化が理由に挙げられていた。
しかし、森脇が1軍復帰を果たした後の7月14日、今度は野球部の選手、スタッフ、グラウンドなどの施設・設備などを、医薬品卸売大手「アルフレッサ」が引き継ぐことで基本合意したことが発表される。森脇は「セガサミー野球部がなくなるのは寂しい。一方で、グラウンドや寮などの施設は本当に素晴らしいので、それが今後も使えるのであれば、うれしいです」と複雑な思いをかみしめた。
森脇は2018年のドラフト会議で西武から6位指名され、26歳のオールドルーキーとして入団した。京都・塔南高、日大を経てセガサミーに入社し、ここで4年間を過ごしていた。
「大学からセガサミーに入った時、もしかしたら自分にとって、これが最後のユニホームになるかもしれないと思いました。草野球などは別として、少年野球を始めてから、小、中、高、大学まで続けてきて、厳しい競争の中でやるのは最後かもしれないと……」。身が引き締まる気がした。「大学時代には野球以外のことに目が向いたこともありましたが、最後かもしれないから、野球に打ち込もうと切り替えました」と振り返る。
セガサミーでは、1年目から社会人野球最高峰の大会である都市対抗の1回戦に先発するなど活躍。2年目も、チームは都市対抗予選で敗退したものの、森脇はNTT東日本の補強選手として本戦に出場した。自己最高球速152キロも計測。ただ、それでも、大卒2年目でドラフト指名が解禁された森脇に、プロからお呼びはかからなかった。

4年目に都市対抗で初戦完封、優秀選手選出の活躍がドラフト指名につながった
「もやもやした気持ちを抱えたまま臨んでしまった」という3年目は不振に陥り、登板機会が激減する。この年、セガサミーは都市対抗に出場し2回戦まで進出したが、森脇は中継ぎで1度登板し、1安打1四球で1死も取れずに降板しただけだった。プロ入りの目標は一気に遠のいて見えた。
そんな森脇の目を覚まさせたのが、当時セガサミー投手コーチの吉井憲治氏(現ヘッドコーチ)だった。「4年目を迎えた時、『実はおまえ、昨年限りで“クビ”(現役引退)のリストに入っていたのを、何とか残してもらったんだぞ』と明かされました。自分でも薄々危ないと感じていたので、そこで奮起しました」と明かす。
「吉井コーチと一緒に『自分の強みは何か』を考え直し、持ち味のストレートをもう1度磨き直すことを決め、フォームの改善に取り組みました。それまであまり投げていなかったフォークにも、本腰を入れて磨きをかけました」。レベルアップを遂げた森脇は、この年の都市対抗で1回戦に先発し、NTT西日本を9回4安打12奪三振完封。チームが歴代最高タイのベスト4に進出する原動力となり、大会優秀選手の1人にも選出され、西武からの指名につながったのだった。
セガサミーの球場、練習施設、寮などがある東京都八王子市を、森脇は「思い出のある街」と懐かしむ。「寮生活を含めて、波乱万丈ありながら腕を磨いた場所なので、非常に思い入れがあります」と目を細める。
セガサミーでドラフト解禁から2年多く、計4年間をかけ、現役生活のピンチから這い上がった森脇。プロでも利き腕の上腕にメスを入れ、3年という長いプランクを強いられながら、1軍に戻ってきた。34歳になった今も、粘り強さは全く衰えていない。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)