阪神監督から“クビ宣告”も…完全同意で安堵したワケ 前政権の采配に「違和感があった」

阪神で活躍した八木裕氏【写真:山口真司】
阪神で活躍した八木裕氏【写真:山口真司】

元阪神の八木氏、プロで大きな飛躍を遂げた4年目の1990年

 元阪神で内野も外野も守った八木裕氏(野球評論家)は、プロ4年目の1990年に飛躍した。キャリアハイの28本塁打を放ち、虎の若き長距離砲として騒がれた。大きかったのは1月の合同自主トレ中に中村勝広監督から「お前、ショートはクビ」と言われたことだという。シーズンでは5月のヤクルト戦での打棒大爆発で「これでいけるなと思った」と明かし、7月の広島戦でぶちかました一発は特に強く印象に残っているそうだ。

 1990年4月7日の広島戦(広島)に「7番三塁」で出場して4打数1安打。プロ4年目の八木氏は初の開幕スタメンからスタートした。4月12日の巨人戦(甲子園)では、2-2の8回裏に左腕・吉田修司投手から勝ち越し1号ソロを放つなど、4月に4本塁打と活躍。長距離砲としての存在感を示し、そのままシーズンを“完走”した。124試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.250、28本塁打、66打点の成績を残した。阪神が最下位に沈んだ中での希望の光でもあった。

 飛躍の要因を八木氏は「守備の負担が減りましたからね」と話す。前年(1989年)は主に遊撃手として起用され「そんなにうまいわけでもないし、違和感があった」と困惑していた守備位置が、三塁に変わったのが大きかった。「キャンプ前の合同自主トレの時に中村監督から『ショートはクビ! 今年はサードで行くからな』と言われたんです。“ああ、良かった、そうだよな、絶対”と思いましたよ(笑)」。

 このシーズンから阪神監督は「ザトペック投法」で知られた投手出身の村山実氏から巧打、好守の内野手出身の中村氏に変わり、八木氏の守備位置にも早速“メス”が入った形だった。1990年は三塁以外守っておらず、失策数こそ、遊撃手だった前年の「12」を上回る「13」と増えたものの、守備に関しては精神面も含めてゆとりができて、それが長打力を看板とする打撃に好影響を与えたというわけだ。

 八木氏は「5月だったかな。ヤクルト戦で6打点したのが印象に残っていますね」と話す。阪神が12-7で勝った5月3日のヤクルト戦(甲子園)に「6番三塁」で出場。先発・加藤博人投手から5号、2番手・金沢次男投手から6号と2本塁打を含む3安打6打点の活躍をみせた。「(阪神15安打、ヤクルト16安打の)乱打戦でホームランを打って、この頃に“よっしゃ、これで調子に乗っていけるな”と思いましたね」と振り返った。

八木氏が忘れぬ特大弾「甲子園のたぶん、上の通路ぐらいまでいった」

 さらに「その年(1990年)に(広島の)紀藤(真琴投手)から打ったホームランは会心でした」とも口にした。「7番三塁」で出場した7月10日の広島戦(甲子園)で放った13号だ。「スライダーを打ったんですけど、あれはね、結構飛んだんですよ。甲子園のたぶん、上の通路ぐらいまでいったと思います」。まさに手応え十分の一撃だった。

「この頃の僕のホームランは、打った瞬間、確信の当たりがほとんど。(確信して)歩いてはいないですけど、一塁ランナーコーチとのハイタッチは何回もしています。とろとろとろとろ走って、バーってね」と八木氏は笑みを浮かべたが、その中でも紀藤からの特大弾は、自身をさらに勢いづけるものでもあったのだろう。球宴折り返しまでのシーズン前半戦に14本塁打、後半戦も8月16日の大洋戦(神戸)で遠藤一彦投手に一発を浴びせて20号に到達するなど、同じく14本塁打を上乗せして、最終的には28本塁打とした。

「長打で勝負するんだって思っていたのを実践できたのは良かったなと思いました。あの頃は球場も狭かったし、僕には持ってこいの状況でもありましたね」。このオフに結婚。媒酌人は中村監督夫妻だった。「もう打たなかったらすぐ外されて、どうのこうのっていうチャンスをもらっている立場じゃない。レギュラーとしての責任感みたいなものも芽生えてきた頃でした」。当時25歳。“若き大砲”の八木氏はこの年から3年連続で20本塁打以上をマークする。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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