母国で経営者に転身、元助っ人の今 “売り込み”実らずも…V貢献右腕の野望「いつか日本で」

オーランド・ロマン氏は2012年からヤクルトで4年間プレー
ファンに愛された元助っ人が、母国でひとつの夢を叶えた。ヤクルトで2012年から4シーズンプレーし、2015年には14年ぶりのリーグ優勝に貢献したオーランド・ロマン氏。2019年に現役を引退し台湾球界でコーチを務めていたが、今年プエルトリコでスポーツバーを開き、経営者として辣腕を振るっている。Full-Countのインタビュー前編では、47歳となった現在についてや今後の野望を明かした。
「今は自分のビジネスをメインにやっています。元々興味があって、今年プエルトリコに戻ることを決めたとき、家の近くにいい物件が見つかったからそこでスポーツバーを経営しています。野球とは全く違う環境ですけど、楽しんでやっていますよ」
経営者のため店に立つことはないが、頻繁に足を運んで店の状況や従業員のチェックを欠かさず行っているという。「それから、時間のあるときは子どもたちに野球を教えています」と優しい笑顔を見せた。
1999年にMLBドラフト31巡目でメッツに入団したが、メジャーに昇格することはできなかった。2010年から台湾球界でプレーし、2011年に最多勝&最多奪三振のタイトルを獲得して、翌2012年から日本にやって来た。ロマン氏にとって、掴み取った場所だった。
「米国では思うような成功を収めることができませんでしたが、自分はプロとしてお金を稼ぐ必要がありました。台湾ではいい成績を出せたと思いますが、自分の目標はもっとレベルの高い日本でプレーすることでした。台湾で頑張れば日本でチャンスがもらえると思って、台湾で野球をやっていました」
ヤクルトや巨人などでプレーしたディッキー・ゴンザレス氏、元ダイエー(現ソフトバンク)のペドロ・バルデス氏ら同郷の友人から日本の野球についての話はよく聞いていた。台湾ではNPBの放送が行われており目にする機会も多く「本当に、日本でやりたいとずっと思っていました」と振り返る。

“売り込み”も「日本で外国人がコーチをするのは難しいじゃないですか」
念願かなってヤクルトに入団すると、1年目から先発ローテーション入りして26登板で9勝(11敗)をマークした。「日本はいい選手が多くて、レベルは高かったです。打者はすごくコンタクト、ミートしてきたし、盗塁などのスピード感に順応するのが大変でした。でもチームメートの力も借りて適応していけたと思います」と胸を張った。
2013年以降は先発、中継ぎ、抑え、まさに“ユーティリティ”として腕を振った。2015年には、当時36歳のベテランながらどんな場面でもマウンドに上がり、61登板(3先発)、5勝5敗23ホールドで優勝に貢献。高津臣吾投手コーチから「陰のMVP」と称された。同年限りで退団し、台湾球界に復帰した後、ユニホームを脱いだ。
現役引退後に台湾でコーチを務めている際、ヤクルトに“売り込み”をしたことがあるというが「やはり日本で外国人がコーチをするのは難しいじゃないですか。だからそのときはそういう話はなかったんです」。それでも「今は違う仕事をしていますけど、いつかもしも日本でチャンスがあればやってみたいなって。難しいとは思いますけど」と日本で指導者になるという密かな思いを口にした。
「一番大事なのは健康でいることだから、走ったりトレーニングもしています。経営しているスポーツバーをちゃんと軌道に乗せたいし、プエルトリコの若い選手がもっと活躍できるように野球を教えていきたい。今はそんな希望も持っています」。日本から1万3000キロ以上離れた地で、ロマン氏は今もフル回転の日々を過ごしていた。
(町田利衣 / Rie Machida)