甲子園“改造”がきっかけ…新庄剛志がスターになった裏側 低迷続きの阪神が下した決断|球界群像 八木裕#14
1992年、阪神でレギュラーを掴んだ新庄剛志【写真提供:産経新聞社】1992年に甲子園がラッキーゾーン撤廃…八木裕氏は三塁から外野へコンバート
元阪神4番打者の八木裕氏(野球評論家)は、プロ6年目の1992年シーズンに外野手へ転向した。春季キャンプ前に中村勝広監督から「サードではなくセンターをやってくれ!」と通達されたが、「その年からラッキーゾーンを取ったからです」と本拠地・甲子園球場の“改造”が関係していた。守りの野球に転じた阪神が首位争いを繰り広げる中、初出場の球宴では思わぬ形で打撃上昇のきっかけもつかんだという。
1992年4月4日のヤクルトとの開幕戦(神宮)に、八木氏は「7番・中堅」でスタメン出場した。左翼がジェームズ・パチョレック外野手、右翼は真弓明信外野手。前年まで八木氏が守った三塁はトーマス・オマリー内野手で、一塁は岡田彰布内野手、二塁は和田豊内野手、遊撃は新人の久慈照嘉内野手の布陣だった。「キャンプ前に中村監督から『今シーズンから(甲子園の)ラッキーゾーンを取るけど、これまでの外野だと間をナンボでも抜かれるから、お前がセンターをやってくれ』と言われました」。
甲子園球場外野フェンス内側に設置されていたラッキーゾーンがなくなることで外野が広くなり、守備力優先で八木氏の外野コンバートが決まった。「その頃は一応、足が他の人よりは速かったんでね。そりゃあ、サードの方がよかったですよ。外野に行くと何か遠くの方で野球をやっている感じがしたんでね。でも監督に言われて、完全なコンバート。(仲田幸司投手や湯舟敏郎投手ら)ピッチャーが良くなって、守りで勝ち抜くというチームカラーに変わりましたしね」。
阪神で活躍した八木裕氏【写真:山口真司】球宴の打席で掴んだタイミングの取り方「ボールが見やすいな」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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