甲子園の忘れぬ“37分間”「あれ?」 天国から地獄…阪神ファンも乱入し猛抗議した“幻の一発”

阪神・八木裕氏が放った“幻のサヨナラ2ラン”…HR判定から一転、エンタイトル二塁打に
判定が覆った……。1992年9月11日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)での「幻のサヨナラ2ラン騒動」は、この年の阪神で大きくクローズアップされた一件だった。その“劇的弾”を放った元阪神外野手の八木裕氏(野球評論家)は、「私の歴史を振り返るなかで一番の出来事だと思う」と話す。本塁打がエンタイトル二塁打に訂正され、阪神・中村勝広監督が審判団に猛抗議するなど、37分間の中断もあった舞台裏を当事者がプレーバックした。
それはヤクルトとの首位攻防戦で起きた。3-3で迎えた9回2死一塁で、「5番・左翼」の八木氏は5番手・岡林洋一投手のスライダーを捉えた。左中間への大飛球はフェンスに当たってスタンドイン。平光清塁審が右手を回してホームランと判定したが、ヤクルトサイドが「フェンスラバーに当たってスタンドに入った」と抗議した。その結果、審判団が判定を覆してエンタイトル二塁打に。中村監督が抗議したものの認められず、連盟提訴を条件に2死二、三塁で試合再開となった。
その間、37分の中断。一部のファンがグラウンドに乱入する騒ぎもあった。試合は延長15回3-3の引き分け。中断時間も含めて6時間26分の最長ゲームにもなった。これが有名な「幻のサヨナラ2ラン騒動」だ。「誰しもが、僕に関してはその話題をされますし、チームが優勝できるか、できないかって時に起きたことなので注目はされました。自分の中の大きな1ページではありますね」と八木氏も話した。
実際、あの判定をどう受け止めたのか。「フェンスの一番上部に当たっていれば当然ホームランなんですけど、その上部がどこまでで、どこまでが下部っていうのがなかったと思うんですよね。人間に当たって入ってもホームランなんで。だから、その一番トップがどこかっていうのがなかったから、上だったらホームラン、そこだったらホームランじゃない、みたいな解釈になったんだと思います」。
現在のようなビデオ判定がなく、審判が下した判定はなかなか覆らなかった時代だが、それが覆った。「ましてや(サヨナラ2ランで)ゲームセットですからね。ゲームセットになったら、なかなか覆らないんですけど、覆りましたからねぇ」とも口にしたが、打った時点では微妙な感覚だったという。「いい当たりはいい当たりだったんですが、打球が低すぎてホームランにはならないと思っていました」。

没収試合による敗戦危機に…中村監督「すまんけど、この後もプレーしてくれるか」
本塁打でなくても、1点入ればサヨナラ勝ち。「(カウントが)スリーツーだったから一塁走者は走っていたので、外野を越えれば、何とかホームまでかえってこれるだろうと。だから“外野を越えてくれ”とばかり思って走っていたら、ホームランっていうからあれ? って。あれで入るんやって。もう喜んで、ワーッと(ホームに)かえってきて(ナインに)ボコボコにされたんですけどね」。その上でヤクルト側の動きも見えていたという。
「『ヒーローインタビューをしましょう』みたいなことを言われて、『いやちょっと待ってくださいよ。向こうでもめてますやん、抗議されているからちょっと待ちましょう』って言いました。それでもヒーローインタビューの台まで出してきて『もうやりましょう、やりましょう』って。『いや、まだ向こうが抗議しているから無理ですよ』と、また言いましたけどね」と苦笑しながら振り返ったが、周囲はそこまで盛り上がっていたわけだ。
それが訂正されたのだから、中村監督も簡単に受け入れられるはずもなかった。「中村さんは審判団に『そんなん納得できるわけないやろ』って。いろいろ説得に審判が来たんですけどね。最後は聞き入れなければ没収試合になって負けになるということで……。それだけは避けたいってことでね。ベンチ裏で中村さんが『すまんけど、選手たち、この後もプレーしてくれるか』と言われました」と八木氏は明かした。
「勝ったと思ってロッカーに帰っている人もいたんでね。40分近い中断の後、もう一回ネジを巻いていくのがなかなか大変な試合だったんですけどね。まぁ、その後は15回まで淡々と終わったみたいな感じでしたね」。それでも阪神は翌日以降も調子を落とすことなく、9月19日の大洋戦(甲子園)まで、この1引き分けを挟んで7連勝で首位にも立った。だが、その後のビジター13試合で3勝10敗とまさかの失速で無念のV逸となった。
「(最後のロードに出る前に)中村さんが『大きなお土産を持って帰ります』って言っちゃいましたけど、ホント、優勝できると思っていたんですよ。ビジターの威力ってやっぱりすごい。応援も含めてですけど、こんなに差があったのかって思いました。勝てるチャンスはいっぱいあったのに勝てなかったというのはね……。終わった時は残念でしかたなかったし、もったいないシーズンでしたね」
そんな中で強烈な印象を残したのが「幻のサヨナラ2ラン騒動」でもあった。「あれは僕の責任でも何でもないけど、ちょっと責任っぽく言われる時もありましたね。でも、自分のその一打が今も語り継がれることはあるのだから、それはそれで良かったのかなと。今、考えれば、ですけどね」。1992年の八木氏の成績は打率.267、21本塁打、60打点。数字以上に、いろいろと思い出深いプロ6年目だった。