“自転車通勤”の元助っ人が驚いた渋谷の光景 忘れぬ広島の名物「また食べたい」…濃密だった4年間

ヤクルト時代のオーランド・ロマン氏【写真提供:産経新聞社】
ヤクルト時代のオーランド・ロマン氏【写真提供:産経新聞社】

2015年に61登板のロマン氏「自分だけじゃなくみんなのおかげで優勝」

 2012年からヤクルトでプレーしたオーランド・ロマン氏は、2015年に61試合に登板して14年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、同年限りで自由契約となった。Full-Countのインタビュー後編では、退団の真相や、4年間を過ごした日本での忘れられない思い出を明かした。

 高津臣吾投手コーチが「陰のMVP」と称した言葉が全てだろう。2015年、ロマン氏は当時36歳のベテランながら自己最多の61登板(3先発)、5勝5敗23ホールドとフル回転した。

「自分だけじゃないですよ。ブルペンで言ったら(ローガン・)オンドルセク、(トニー・)バーネット、秋吉(亮)ら鉄壁のブルペン陣がいた。自分だけじゃなくてみんなのおかげで優勝できたと思います」と謙遜するが、「あの年は本当にひとつになって戦えていましたよね」と思い出したように微笑んだ。

 最も印象深いのは10月2日、リーグ優勝を成し遂げた阪神戦だ。小川泰弘が先発して6回無失点と好投し、オンドルセク、秋吉、久古健太郎、バーネットがつなぎ、延長10回からマウンドに上がったのがロマン氏だった。延長11回1死、マウロ・ゴメスの特大飛球はわずかにファウルに。「でっかいファウルにみんな驚いたけど、あれがファウルでよかった。その裏に雄平さんがサヨナラヒットを打って……。今でもたまにその試合の動画を見たりしています」。

 勝利の美酒は、格別だった。しかしすぐに、まさかの通達を受けることになる。

「絶対にヤクルトに残れるものだと思っていました。あの年は優勝に貢献できたし、少なくてもあと1年は、と。自分でも実際に何があったのか、詳しいことはいまだにわかりません。契約がないと言われたのは確か11月下旬で、その時期になると別の球団を探すにも日本では難しくなっていました。それでも生活があるし、台湾に戻ることができたので台湾で野球を続けることにしました」

 12月、優勝旅行先のハワイでも同僚たちから「何で退団なんだ」と質問攻めにあった。それほどまでに波紋を呼んだ“最後”だった。

取材に応じたオーランド・ロマン氏(写真はスクリーンショット)
取材に応じたオーランド・ロマン氏(写真はスクリーンショット)

NPB通算133登板「あっという間でした。本当に楽しい4年間でした」

 NPB通算133登板で18勝22敗、27ホールド6セーブ、防御率3.00。ヤクルトで過ごした日々を回顧し「あっという間でした。東京に住むことは本当に楽しかったし、カルチャーも含めていろいろなことを学びました。2014年に怪我であまり投げられなかったのは悔しかったけど、でも本当に楽しい4年間でした」と言葉に力を込めた。

 マイ自転車で神宮球場に“通勤”する姿は、ファンにもお馴染みだった。「オモテサンドウ、アキハバラ、アオヤマ、ヨヨギパーク、トウキョウタワー……いろいろなところに行ったなぁ。渋谷のスクランブル交差点は、あんなに人がいるのに、みんな節度を持って渡っていて驚きました。あとは新幹線が速い。日本の生活は100%楽しめたと思います」と懐かしむ。遠征先では名物に舌鼓を打つのも楽しみのひとつで「広島ではお好み焼きが好きでした。また食べたいなと思っています」と目を輝かせた。

 2016年のオフ以来、日本には来ていない。退団から10年が経ったロマン氏は、かつて慣れ親しんだマウンドを思い浮かべるように言った。「また日本に戻りたい。神宮でファーストピッチをしてみたい、それが私の夢です」。その姿をきっと、多くのファンが待っている。

(町田利衣 / Rie Machida)

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