ウガンダ初のプロ野球選手、西武育成ムサの1日に密着 日本で夢を追う21歳右腕の波乱万丈な人生

ウガンダ共和国から初めてプロ野球選手になった西武のイサビレ・ムサ・アゼッド【画像:パーソル パ・リーグTV】
ウガンダ共和国から初めてプロ野球選手になった西武のイサビレ・ムサ・アゼッド【画像:パーソル パ・リーグTV】

きょうだいは20人!? 西武ムサの生活、驚異の身体能力

「パーソル パ・リーグTV(通称パテレ)」の新企画として、選手や関係者の1日に密着するオリジナル番組「パテレが行く」が始動した。初回は、NPB初のウガンダ共和国出身である西武のイサビレ・ムサ・アセット投手に密着した。

 2025年11月に西武と育成契約を交わしたムサは現在、実戦経験を積むため独立リーグ「信濃グランセローズ」に派遣選手として所属している。長野県で3人のチームメートと共同生活を送る日々の始まりは、まだ眠っている朝の部屋から。球団スタッフに起こされ、パテレスタッフとの「はじめまして」から密着が始まった。

 この日の朝食は、野菜を切るところから始まる本格パスタ。ウガンダにいる姉と通話しながら食事を楽しむ。時差の関係で日本の朝はウガンダの夜中にあたるため、この時間帯に2人の姉と話すことが多い。ウガンダでは一夫多妻制が認められており、20人のきょうだいがいることも明かした。

 グラウンドに移動すると、大きな声で元気いっぱいに挨拶をする。練習前のストレッチでは、逆立ちのまま歩いたり、驚くほど体を反らせたりと身体能力の高さを披露した。サッカーや陸上が盛んなウガンダで、ムサも幼少期はサッカー選手として活動していたが、その後、野球を始めた。最初に挑戦したのは捕手で、遊撃手に憧れて転向。球速が144キロから一時150キロ後半までアップし、コーチの勧めもあってピッチャーに転身した。しかし、そこからは苦しい日々だった。

 約2年間、145キロを超えられない時期が続くなか、母親がガンを患い、看病のため野球を一度はやめる決断をした。母親を看取った後は、オフィスワークを経験したものの、楽しさを感じられず離職。そんな時に日本からスカウトを受け、野球を再開した。ムサは「野球してる時は幸せになれる。負けてもグラウンドでは悲しくない」と、改めて野球ができることへの感謝を口にした。

成長と夢の実現へ、恵まれた日本の環境を力に

 ブルペンでは45球を投げ込み、午後はフォーム改善のトレーニングやジムで体を鍛える。トレーニング後に掃除をすると「こんなに掃除しているの見たことないよ」とチームメートからツッコミを入れられる場面もあり、明るい人柄が垣間見える。帰宅後はユニホームの洗濯、掃除、食料の買い出しなど、身の回りのことを自らこなしていく。

 まだチャンスをつかむ途中にいる21歳のムサ。今の環境での苦労を問われると、「ウガンダと今の環境には大きな差がある。ウガンダだと、グラウンドも長い草が生えていたりして本当に違うんだ。ここは本当に恵まれた場所。だからこそ努力しなきゃいけない。さらに上を目指したいんだ」と、さらなる成長への意欲を語った。

 1日を終え、翌朝5時にアラームをセットし、ベッドに入ってボールを握りしめる。密着の感想を問われると「楽しめたけど疲れたよ。でも、こんな機会は夢に見ていたし、これは大きなチャンスだと思ったよ」と笑顔で振り返った。

 取材を担当したスタッフは、ムサについて「とにかく明るく、チームメートやスタッフに積極的に声をかける姿が印象的でした。文化の違いに戸惑いながらも、日本へのリスペクトが随所に感じられ、この環境で努力を重ね、夢をつかもうとする強い意志を感じました」と話した。

 また「西武の球団スタッフや信濃のコーチ、スタッフの皆さんからも、異国の地で奮闘する若者の力になろうとする責任感と覚悟が伝わってきました。多くの外国人選手が活躍してきたNPBですが、それは選手一人の努力だけでなく、日本の文化や野球への理解・適応を支える周囲のサポートがあってこそ実現しているのだと感じます」と振り返った。

(「パ・リーグ インサイト」編集部)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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