1軍出場ゼロ→阪神・代打の神様に 投げれず走れず…新指揮官に見出された“職場”

八木裕氏は1997年、吉田義男監督の下で再出発…取り戻した輝き
元阪神の八木裕氏(野球評論家)は、プロ11年目の1997年シーズンから代打でも活躍するようになった。「吉田(義男)監督がうまく使ってくれたんです」。スタメンもあれば、代打もあるという形。コンディションに応じての起用で、「調整もしやすかった」と話す。前年の1996年は怪我もあって1軍出場なし。復活劇の裏には指揮官からの指令や“猛発破”もあったとし、「打撃の考え方を変えるホームランもあった」という。
八木氏は左膝痛と右肩痛に苦しみ、1軍出場なしに終わった1996年に「もしかしたらクビもあるかも」と覚悟していたが、そんな話を聞くこともなく11年目のシーズンに突入した。監督には吉田氏が復帰した。「僕は誰からも何も聞いていませんけど、吉田さんが僕を残してくれたんじゃないか。おそらく、そうだったんだろうというのは感じましたね。本当のところは知らないし、わからないし、違ったかもしれないですけどね」。
吉田氏は、八木氏が1986年ドラフト3位で三菱自動車水島から阪神に入団した時の監督。1年目の1987年からスタメンにも起用された。「まぁ、かわいがっていただいていたんでね。『お前、頑張れよ。膝と肩を痛めたんだから、人より早く球場に来て、リハビリのようなトレーニングとかランニングとかちゃんとやれ。それをずっとやる。まずそこからやれ!』と言われました」と“指令”も出されて再スタートを切った。
発破もかけられたという。「僕と(故障などで1994年~1996年に未勝利の)中込(伸投手)は、みんなの前で吉田さんに『(2人は)剣が峰だ!』ってね。たぶん、僕らのやる気を出すためだったと思います。さすがに気合が入りましたよ。もう最後だと思ってやろうと覚悟もできました」。前年までに腰、膝、肩と故障が相次いだことで、以前と同じように走ったり投げたりは無理だったが、できる範囲で精一杯の調整に励んだそうだ。
1997年4月5日の広島との開幕戦(広島)に八木氏は「5番・一塁」で起用された。試合には1-3で敗れたが、3打数1安打での発進だった。「オープン戦もずっと調子が良かったんでね。(右肩痛の影響で)投げられないのは相変わらずで、もうファーストしかできなかったんですけどね。捕ってセカンドまでは何とかギリギリって感じで……。走るのもとろとろ程度。それまでは足も一応期待されていたんだけど、全く期待に応えられなくなりましたけどね」。

進化した打撃…HR映像を見て実感「ギャップがあるもんだな」
そんな状況だったが、決して後ろ向きにはならなかった。「人間の体ってよくできているもので、だんだん時間が経っていくと、投げる方もちょっとずつ投げられるようになってくるし、走る方もちょっとだけレベルが上がってきたんですよ。何よりも吉田さんがうまく使ってくれたんです。もう感謝しかないんですよ。吉田さんの言うことは全部聞かなきゃと思ってやっていました」。その一環で代打稼業も始まった。
「1シーズンフルにレギュラーで出るとなると、(コンディション的に)レベルが落ちてくる。でも、代打でいきながら休み、休みいくとシーズンをうまく完走できるというか、パフォーマンスを上げたままいけるという感じがあったので、吉田さんも考えてくれたと思います。スタメンで出ると、“ここ”というところで僕に打順が回ってくるとは限らないので、『今日は代打でお前を置いとくから』と……。だから、どの打順でも代打でいったし、チャンスなら4回だろうが、5回だろうが関係なかったですね」
加えて、この年には打撃向上につながる一発もあったという。「5番・一塁」で出た開幕3戦目の4月8日の横浜戦(横浜)で、5-5の8回に左腕・森中聖雄投手から放ったシーズン1号の勝ち越し2ラン。「それが僕のバッティングの考え方を変えるきっかけになりました。ポイント的にすっごい前で打った気がしたんですが、映像で見たら、全然前で打っていなかった。ちょうどいいところで打っていたんですよ。あれっ? て思って……」。
この一打によって、八木氏は「自分の感覚と実際はギャップがあるもんなんだっていうのがわかったんです」と振り返る。「昔からの教えで、ボールはできるだけ自分の方に引きつける方がいいという流れがずっとあったんですが、僕にはそれが当てはまらないんだと思った。あれだけ前で打ったと思ったのがいいところで打っていたということは、自分の場合、引きつけると余計、こっち(手元)に来ているとね。そこから打つポイントをすべてのボールに対して、若干前にしました」。
それが功を奏した。「確率がすごく上がりだした。打数が少なくてもできるようになった。体はあまり強くなくなったけど、結果が出るようになってきたみたいな。バッティングって曖昧なことが多いので、これまで教わったことへの違和感もあったんですが、それもめちゃくちゃ解消された。いろんなものがいい方に好転しだしたんです。もう打力のことしか考えなくていいと思っていたし、森中からのホームランでいろんなことがわかった。僕はその先もずっとこの考えのままいったんです」。八木氏にとって“大きな一発”になった。
吉田監督によって、3番も4番もあったスタメンと代打の併用で八木氏は輝きを取り戻した。“進化”した打撃で、代打での打率は4割を超えた。その勢いは続き「代打の神様」とまで言われるようになる。だが、悲しいかな、阪神は弱かった。1997年は5位で、1998年は最下位。さらにはその後も……。“暗黒時代”からは、なかなか抜け出せなかった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)