阪神に根付く“称号”が「めちゃめちゃ嫌でした」 快打連発も…重荷だった呼び名「勘弁してくれ」

阪神時代の1998年、代打としても活躍した八木裕氏【写真提供:産経新聞社】
阪神時代の1998年、代打としても活躍した八木裕氏【写真提供:産経新聞社】

「代打の神様」八木裕氏が打撃練習で実践した“工夫”

 元阪神の八木裕氏(野球評論家)は、プロ12年目の1998年に「代打の神様」と呼ばれるようになった。ここぞの場面で登場し、何度も好結果を残してファンを熱狂させた。開幕4カード目に先輩レギュラーの代打で起用され、ヤクルト名捕手の配球を読んで放った一発で自信がついたそうだ。しかしながら「神様」の“称号”については、「ちょっと勘弁してほしいなと思っていました」と吐露した。

 1997年に“第3次吉田義男体制”になって、八木氏はスタメンとの併用ながら代打の切り札の役割を担った。代打での打率は4割超。その裏には打撃練習での工夫もあった。「バッターボックスの一歩前(投手寄り)くらいで打っていました。代打は一発勝負なので、ストレートのタイミングが一番難しい。速く感じることが多いんです。(練習で)前に立っても速さは解消できないんですが、時間だけは解消できるんです。投げてから打つまでの時間は、試合と同じ形にしたいと思って始めました」。

 八木氏は「それが100%効いたとは思いませんけど、時間だけは同じようなイメージになると思って、信じてやっていました。(代打は)スタメンでいった時と空気感が違います。試合の空気感がね。それまで試合に出ていれば全然感じないんですけどね、動いている中に入るのはすごい違和感があるんですよ」と説明する。そんな中、1998年に「代打の神様」と呼ばれるほどの好結果を残したが、開幕4カード目の代打3ランが大きかったという。

 4月15日のヤクルト戦(甲子園)の7回。吉田監督は2番打者の和田豊内野手に「代打・八木」を告げた。その日の和田は相手先発・田畑一也投手の前に3打数無安打2三振。開幕から調子が上がらず、この時点で打率は.195まで落ち込んでいた。とはいえ、八木氏にしてみれば、まさかの事態での起用で、ただただ驚いたそうだ。

「3割を何回も打っている和田さんの代打にいくなんて考えたこともなかったですからね。めちゃくちゃいきづらかったです。和田さんはバッターボックスに行きかけて、止められていたんで……。ちょっとすれ違ったんですが、すごい悪い空気感が漂ったんですよね。まぁ、こっちがそう感じているだけでしょうけど、和田さんが何を思っているかは大体、察しがつくじゃないですか」

 そんななかで一発を放った。「打席に入ったら頭は何かすごく冷静で、(ヤクルト捕手の)古田(敦也)と配球の読み合いをしながら田畑の持ち味であるカーブをひたすら待っていたんです。古田は真っすぐとかスライダーを投げさせてきたけど、必ずカーブが来ると我慢していた。ストライクが欲しいカウントになって、中途半端なボールはないから、遅いボールで来るだろうという読みの中でカーブが来て、それを打ったんです」。

阪神で活躍した八木裕氏【写真:山口真司】
阪神で活躍した八木裕氏【写真:山口真司】

重圧になった“代打の神様”の称号「あまりに重たすぎるな」

 打ったコースについては「真ん中高めです」と話す。「多分、古田が捕ったらアウトコース低めくらいのいいところのカーブだったと思いますけど、捕るところよりも、僕は前で打ちましたから。真ん中高めくらいをね。まぁ、自分がそういう逆境というか、よくない空気感で出ていって冷静に結果を出したのはすごく自信になった。代打で結構自信を持っていけるなと思った打席でしたね」。

 実際、そこから代打で4試合連続安打をマークするなど、数字を上げた。「全部ランナーがいるところで出るので、タイムリーも増えるんですけどね」というが、勝負強さは際立ち、ついには「代打の神様」と呼ばれるようになった。「最初、スポーツ紙に“神様”と書いてあったから、パッと見た瞬間、えっ、何だろうと思いましたけどね」。その後、「神様」の称号はどんどん広まっていった。

「めちゃめちゃ嫌でしたよ。ちょっとあまりにも言葉が重たすぎるなと思ったし、失敗できない状況になっちゃうし、さすがにプレッシャーをかけないでくれっていう考えはずっと思っていました。勘弁してくれってね、まぁ調子はよかったんですけどね」

「代打の神様」ながら「4番」での出場もあるなど、この年も先発出場との“併用”ではあった。「5番・一塁」で出た5月17日の広島戦(広島)では、山崎健投手から2号ソロ。「あの時は球が止まって見えるくらい絶好調でした」。川尻哲郎投手がノーヒットノーランを達成した5月26日の中日戦(倉敷)も「5番・一塁」で4打数2安打。「ファーストで僕がウイニングをボールを捕りましたからね」と笑みを浮かべた。

「吉田さんは僕のことを長く使ったら、こいつは持たんと思っていたんでしょうね。確かに打席が多すぎると、だんだん飽きてくるんですよ。集中力が途切れてくる。吉田さんにも、見透かされていたんじゃないかと思います(笑)。自分の体的にも年齢的にも、チームのためにも代打でいって、時折スタメンっていうのがちょうどよかったんです。その方が、結果が出やすかったと思う。ずっと攻めていたら、たぶん、ろくなことはなかったと思います」

 しかし同年、阪神は最下位に終わり、恩師の吉田監督は退任した。チームの成績向上という”恩返し”ができなかったのは悔やまれるだろう。新監督にはその年までヤクルト監督を9年間務めた野村克也氏が就任。「聞いた時は大変なことになると思いましたね」というが、今度は“野村の考え”を吸収。この出会いもまた、大きなものとなる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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