賭博関与で“絶たれた”メジャー「甘く考えていた」 球場でアルバイトすら許されぬ現実…希望託すコミッショナーへの手紙【マイ・メジャー・ノート】

  • 木崎英夫
    木崎英夫 2026.09.11
  • MLB
米国の青少年たちに投球指導を行っているピーター・ベイヤー氏【写真:木崎英夫】米国の青少年たちに投球指導を行っているピーター・ベイヤー氏【写真:木崎英夫】

メジャー昇格の期待も、ピーター・ベイヤー氏を待っていた“孤独”

 デンバー空港から車で約1時間北北東に進むと、低層のビルや倉庫が点在する広い平地が広がる。その中に、6月にオープンした野球トレーニング施設「エンドレス・スポーツ・コンプレックス」がある。

 2万2000スクエアフィート(テニスコート約8面分)の室内には、6つのバッティングケージと4基の移動式ピッチングマウンド、そして内野の守備練習ができるフィールドがある。ここで青少年たちに投球を教えているピーター・ベイヤー氏を訪ねた。

 淡いブルーの瞳には、彩光度の高いLED電球が映った。

 身長193センチ。手足の長さが印象的なベイヤー氏は、コロラドで生まれ育った。高校時代に州の優勝投手になり、大学4年の2016年ドラフトで、レイズから指名されプロの世界に入った。まだ31歳の彼が高みを目指す子どもたちのコーチになったのは、尋常ならざるワケがあった。

「エンドレス・スポーツ・コンプレックス」の共同オーナーを務めるベイヤー氏【写真:木崎英夫】「エンドレス・スポーツ・コンプレックス」の共同オーナーを務めるベイヤー氏【写真:木崎英夫】

「レイズのマイナーから2018年にアスレチックスにトレードされ、マイナーのHigh A で迎えた2年目でした。メジャーキャンプに呼ばれてオープン戦で数試合、登板機会がありました。フォームは安定し速球は97マイル(約156キロ)が出て、登録枠が広がる9月のコールアップで念願のメジャーデビューを果たす青写真が描けるほどになりました」

新型コロナの影響で、マイナーはシーズンそのものが消滅

 ところが、新型コロナウイルスの感染が拡大し、3月半ばで全球団のキャンプは中止が決定。メジャーの開幕が7月にズレ込む一方で、マイナーはシーズンそのものがなくなり、選手に補填されていた週給400ドル(当時レートで4万3000円)も5月で打ち切られた。

 ベイヤー氏は心の深層に言葉を差し向けた。

「大きかったのは、打者と勝負をするという当たり前のことができなくなってしまったことです。脳からのドーパミンが出て緊張状態にある試合の中で生まれる興奮、闘争心にとって代わるものなど他にはありません。それはどのアスリートも同じだと思います。あの時の喪失感は言葉にはできません」

 レッズとマイナー契約を結び、招待選手としてキャンプの参加が決まっていた2021年2月の頭だった。賭博関与が明るみになり、ロブ・マンフレッド・コミッショナーから「制限リスト」入りを通達された。

 ベイヤー氏は途中で声を落とした。

「関わったサイトの運営会社からの通報でした。言い訳になりませんが、コロラドはスポーツ賭博が合法の州です。ですが、選手のベッティング(賭け事)は許されませんから、僕は甘く考えていました」

 救いは、ギャンブル依存症ではなかったこと。ベイヤー氏は子どもたちの個人指導と並行して自身のトレーニングに励んだ。そして再びマウンドに上がる決意をする。

 2022年、メキシカンリーグで再起を果たした。だが、納得できる投球をすればするほど、いつメジャー挑戦の環境に戻れるかが分からない不安で気持ちは落ち込んだ。さらに、調査を重ねたMLBから「資格停止処分」の知らせが異国の地で追い打ちをかけた。それでも翌年はコロラドの独立リーグのマウンドに立った。

「コミッショナーに資格停止の解除を嘆願する手紙を書いています」

 ベイヤー氏の視界にはメジャーに通じる道がスッポリと抜け落ちて、なくなっていた。

「コミッショナーに資格停止の解除を嘆願する手紙を書いています。一筆したためる友人も子どもたちの親も多くいます。でも、何も変わりません。もし、メジャーを目指せるなら野球を続けていたと思いますが、意味のないことに、時間を費やすべきではないと線を引きました」

 気持ちを取り直したベイヤー氏に、天気雨のような光が差した。小学生の時に出会い高校までの道のりに寄り添ってくれた現ブレーブス監督のウォルト・ワイス氏である。名遊撃手としてアスレチックスやブレーブスで活躍したワイス氏は、コロラド在住で2000年に現役引退後は、私立の名門レジス・ジェスウィット高校でコーチを務めていた。

ブレーブスのウォルト・ワイス監督【写真:アフロ】ブレーブスのウォルト・ワイス監督【写真:アフロ】

 ベイヤー氏はゆっくりと間を置いた。

「僕が6歳の時にウォルトが父に電話をかけてきたんです。『息子にフットボールを教えたい』って。彼はその競技でも優秀な指導者でした。以来、家族ぐるみの付き合いが始まりました。後に、ウォルトがレジス・ジェスウィットで野球を教えることになって、地元を離れて僕はその高校に進学しました。規律を重んじ人間性の大切さを説き、野球の楽しさも深みも教えてくれた彼は僕のメンターとなりました」

 人生の師と仰ぐ人物からの励ましの言葉が、空っぽになった心に響きわたった。頑健(がんけん)な肉体に心は追い付き、子どもたちに野球を教えることで自分も豊かになろうという思いが、再び、湧いてきた。

「実は、高校生の時にウォルトの指導を受けてコーチになりたいと思うようになったんです。制限リスト入り後、40人くらいの子どもたちに個人指導をしていましたが、正しいトレーニング法の大切さを痛感しました。メジャーの影響を受けて速い球を投げることしか頭にない子が多かったのには驚きました」

 人の希望を支えてきた息の長い格言「禍福はあざなえる縄のごとし」にあるように、ベイヤー氏にも“福をあざなう”時が訪れる。

 コロラドで成功を収める実業家ジャスティン・サマーズ氏からトレーニング施設運営の誘いを受けた。彼の息子に教えていた縁でつながった。指導をすることへの情熱から25%を出資し、ベイヤー氏は共同オーナーになった。

ベイヤー氏が興味をいただく、日本流の“投手指導法”

 施設には、メジャーの各チームで使われている「トラックマン」、「ラプソード」、そして打撃用の「ヒットトラックス」といったデータ測定・分析の最先端機器が並ぶ。その中に、真ん中の「5」が浮き立つ、ゾーンを9分割したパネルがあった。これは、若手に制球力をつけさせるため、レイズが組織的に取り組んでいる「ど真ん中理論」の継承である。

ストライクゾーンを9分割したパネル【写真:木崎英夫】ストライクゾーンを9分割したパネル【写真:木崎英夫】

「真ん中に投げることから始める。これが確実にできるようになれば、内角は“少しだけ内へ”。外角は“少しだけ外へ”という感覚がつかめて、コースを突けるようになるんです。端からコースぎりぎりを狙わせると、ゾーン内には収められない。制球力って真ん中を基本にしてつけていくもの。若い頃の僕の課題も制球でしたから、このパネルは意義深いものなんですよ」

 ベイヤー氏は、最先端テクノロジーに頼る気は微塵もない。むしろ、日本的な考え方も持っている。

「他で言っていないことなのですが、僕は投手を目指す子どもたちの怪我を少なくするための正しいメカニクスをずっと考えてきました。その中には、投げて肩を作っていくという日本流があるんです。ドジャースのヤマモト(山本由伸)が、去年のワールドシリーズで連投できたのも日本で培ったトレーニングメソッドからですよ。アメリカ人投手には無理でしょう。僕は、こっちで主流の球速を上げることに重きを置くユースへの指導法には賛同できません」

 5月にクアーズ・フィールドに試合を観に行った際、ベイヤー氏は球速を計るブースで96マイル(約155キロ)を出した。欠かさないトレーニングの成果である。ただ、ロッキーズでチケットを売るアルバイトさえも許されない現実がそこにある。

 8月終わりの午後3時。別れ際に、ベイヤー氏が言った。

「実は、今年のワールドシリーズが終わったあと、資格の再登録申請をしていいとコミッショナーから連絡が来ているんですよ。子どもたちへの取り組みが伝わったのかな。そうなればいいのですが……」

 大好きな野球に、“また好きになってもらえる日”がくることを、ベイヤー氏は待ち続けている――。

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【マイ・メジャー・ノート】
1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト・木崎英夫記者による深堀りコラム。現場での取材からはもちろん、豊富な取材メモから送るエピソードも。コアなMLBファンのための記事を原則週1本配信。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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