察した限界…監督から「どうするんや」 少なすぎた“復活”の可能性「もう無理」

元阪神・八木裕氏【写真:山口真司】
元阪神・八木裕氏【写真:山口真司】

阪神一筋18年、八木裕氏は2004年限りで現役を引退

“代打の神様”と呼ばれた元阪神の八木裕氏(野球評論家)は2004年シーズン限りで虎一筋の現役生活にピリオドを打った。プロ18年目の決断だった。腰痛が深刻な状態に陥り、シーズン当初に自身では決めていたそうで、球宴休み期間中、岡田彰布監督に「今年でやめます」と告げたという。10月10日の引退試合は中学時代からのライバルがプロデュース。「あの日は昼間も……」。思い出が詰まった1日になった。

 2003年にリーグ優勝を経験した八木氏は、2004年を集大成の年にするつもりでスタートさせた。しかしながら、体はもはや限界だった。開幕1軍入りは果たしたものの「腰の状態が非常に悪くて、試合にも出られるか、どうかという感じの日が続いたんです。ごまかし、ごまかしでやってはいましたけど、もうこの腰ではしんどいなと思って、シーズンが始まってちょっとしてから、自分の中では引退を決意していました」という。

 それでもできる限りのプレーを続けていたが、7月の球宴休み期間中には岡田監督にも、その気持ちを伝えたそうだ。「『どうするんや』って岡田さんに聞かれて『今年でやめます』と言いました。まぁ、物凄く活躍していれば、もう1年頑張ろうかなと思ったりしたでしょうけど、雰囲気的にも、ちょっと活躍したくらいではもう無理、とわかっていましたからね」。事実上、そこで引退は決まったが、残りわずかとなった現役生活で八木氏は最後の力を振り絞った。

 8月11日の横浜戦(札幌ドーム)では4-4の延長10回に代打で出て2点二塁打。この回、阪神はさらに1点を加えて3点リードとした。だが、その裏、4番手右腕のロドニー・マイヤーズ投手がタイロン・ウッズ内野手に逆転サヨナラ満塁弾を浴びてしまった。「それもヒット、ヒット、ヒット、ホームランなんですよ。どういうことやねんって。ヒーローインタビューの文言まで考えていたのに。こんなことがあるかって思いました」と八木氏は笑ったが、これも現役ラストイヤーの思い出となっている。

セレモニーの冒頭挨拶は「泣かないだろうって思っていたけど」

 引退試合は10月10日の巨人戦(甲子園)。8回裏に代打で登場して、巨人の背番号66、ドラフト8位ルーキー右腕・南和彰投手から通算817安打目の右前打を放った。「打ったのは真っスラ。ボールツーになって、やばいな、フォアボールになったらえらいことやなって思った。(巨人の)キャッチャーがカツノリ(野村克則)だったんで『大丈夫か、ストライク入るのか』って聞いたら『わかりません』って言うし……。打ったのもボール気味で、たまたま先っぽで、打ててライト前になりましたけどね」。

 そのまま9回は一塁守備に就いて、現役生活を終えた。試合後のセレモニーでは「憧れの甲子園球場のバッターボックスに入ることはもうありません」と切り出した後。感極まった。「(挨拶は)まずインパクトのあるところから入ったんですよ。多分、泣かないだろうって思っていたんですけど、言った途端にきちゃって……。こらえることに必死になっていたら、次の言葉が“あれ、思い出せないな”って。本当はもうちょっと長かったんですけど、忘れちゃって短く終わっちゃったんです」とはにかんだ。

 最高の1日だった。「その日の始球式は僕の息子がやったんですけど、企画プロデューサーは(元阪神内野手で当時球団広報の)横谷(総一)なんです。(同じ岡山出身で)中学時代からのライバルが、やってくれたんですよ」と八木氏は感慨深げに話し、さらにこう続けた。「娘の運動会の日でもあったんです。昼間は運動会に行って、僕も走りました。長い1日でした。代打でヒットを打って盛り上がったし、最後守ってウイニングボールも捕れたし、うまくいきました」。

 20本塁打以上を3年連続でマークするなどレギュラー長距離砲として活躍した時代、怪我に苦しんだ時代、「代打の神様」として活躍した時代……。下位低迷の阪神暗黒時代の方が長かったが、プロ17年目には優勝も味わった。通算成績は打率.247、126本塁打、479打点。「大した数字じゃないし、別に誇らしくもないし、よくやったとも思わない。18年できたのは満足していますが、それ以外は満足していないです」と八木氏は控えめに話したが、その活躍は今も多くのファンの記憶に残っている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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