予想してなかった新庄剛志からの電話 疑問だった誘い…見出した結論「失礼なことはできない」

日本ハム・新庄剛志監督(左)と八木裕氏【写真提供:産経新聞社】
日本ハム・新庄剛志監督(左)と八木裕氏【写真提供:産経新聞社】

八木裕氏は阪神2軍打撃コーチやジュニアチーム監督などを歴任

 元阪神で2003年V戦士の八木裕氏(野球評論家)は2009年から阪神2軍打撃コーチを務め、指導者人生をスタートさせた。2015年に退任し、2016年から2018年までの3年間は阪神タイガースジュニアチームの監督として、未来ある子どもたちとも向き合った。2023年シーズンからは新庄剛志監督率いる日本ハムの1軍打撃コーチに。「縁もゆかりもないし、ファイターズのことも全く知らなかったんですけどね」と言いながらも、ここでもまた全力を尽くした。

 2004年シーズン限りで八木氏は現役を引退し、野球評論家としての活動を経て、2009年から再び、阪神のユニホームを着た。1軍が真弓明信監督時代と和田豊監督時代の2015年まで7年間にわたって2軍打撃コーチとして若虎を指導した。「その中で飛躍的に伸びて、活躍した選手も少ないし、なかなか難しいなと思った時期でしたね」と話したが、多くの選手と関わり、その成長に一役買った。

「僕は、選手をちょっとサポートするというのがコーチだと思っています。育てるなんておこがましいことで、選手は勝手に育つんですよ。いろんな選手と一緒に時間を過ごしたというだけで……。原口(文仁捕手、2009年ドラフト6位)もそうですし、北條(史也内野手、2012年ドラフト2位)も、(2023年に亡くなった)横田(慎太郎外野手、2013年ドラフト2位)もそう。まぁ、でもレギュラーになりかけた選手もいたし、つかみそこなった選手もいたんでねぇ……」

 2軍打撃コーチ退任後の2016年から2018年までは小学5、6年生対象の阪神ジュニアの監督として少年野球指導も経験した。毎年12月に行われるNPB12球団ジュニアトーナメントでは「2016年と2017年は2回続けて準優勝。3年目(2018年)は予選で負けて(決勝トーナメントに)行けなかったですけどね」と話す。「(その後)高校野球で甲子園に出た子は何人もいます。プロはまだいないけど、徳島インディゴソックスにはいますよ」と徳島・山本耕大内野手(2016年メンバー)ら“教え子”たちの成長も楽しみにしている。

 2016年12月には学生野球資格を回復。評論家活動の傍ら、母校の岡山県立岡山東商野球部の外部コーチも引き受けた。「ちょっとOB会長に頼まれてね。時間が許す限りでしたけど、試合や練習を見たり、ミーティングをしたり、一応頑張ってやったんですけど、まぁ、うまくはいかなかったですけどね。限界がありました」と高校生指導の難しさも学ぶ形になったそうだが、野球界に恩返しするために精力的に動いていた。そして2022年オフには日本ハム1軍打撃コーチとなった。

元阪神・八木裕氏【写真:山口真司】
元阪神・八木裕氏【写真:山口真司】

新庄監督とは阪神時代に「ロッカーが近かった」

 就任1年目を最下位で終えた日本ハム・新庄監督から電話がかかってきて「コーチをしてほしいんですけど」と言われたという。八木氏にとって新庄監督は阪神時代の後輩だが「(現役の時は)年が(6歳差で)離れすぎていたのもあるし、彼とかは結構異質というか、ちょっと我々のレベルでは違うところにいたような感じがしたので、一緒に食事とかも、何か呼ばれた時にたまに行くくらいで、僕が『行こうよ』っていうのはあまりなかったと思う」と特別親しい間柄ではなかったそうだ。

「ロッカーが近かったのでバッティングの話はしたことがありましたが、よく話をしていたわけではなかったです。まぁ、後で聞いたらアドバイスをしていたみたいで、新庄はそれを覚えていたんですけどね。僕は忘れていたんだけど(笑)」。コーチ就任の誘いの電話にしても旧知の阪神関係者を通じてのこと。「(関係者に)『知らない番号から電話がかかってきますけど、新庄だから取ってください』って言われたんです」。

 そんな“ラブコール”に即答はしなかった。「『僕にもいろいろ相談しないといけない人がいるから、ちょっと2、3日待ってくれるか』と言いました。ファイターズのことを全く知らなかったし、大丈夫かなとも思ったし……」。その上で行くことに決めた。「そうやって新庄に言われて、断るわけにはいかんじゃないですか。そんな失礼なことはできない。これは、やっぱりやらなきゃいけないんだと思ったんです」。

 NPBで阪神以外のユニホームを着るのは初めて。指導にはかつて学んだ名将・野村克也氏の“教え”も盛り込んだ。それこそ、ここまでの現役時代、指導者時代に培ったものをフル活用して、少しでも日本ハム各打者の成長の手助けになれば、との思いで取り組んだ。それは新たな挑戦であり「僕の勉強にもなりました」と八木氏は話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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