父の職業を隠し続けて東大野球部へ 重荷だったプロの看板…きっかけとなった1枚のチラシ

渡辺俊介氏は屈指のアンダースローとして活躍
ロッテで通算87勝をマークした渡辺俊介氏がポッドキャスト番組「Full-Count LAB―探求のカケラ―」に出演。名門進学校の海城高から東大に進み、野球部でアンダースローとして奮闘した長男・向輝さんとの歩みと、父としての向き合い方を語った。
「野球をやったら絶対比較されてしまう」。幼少期はあえてサッカーボールやおもちゃのゴルフセットを家に置いたこともあったが、本人が選んだのは野球。3歳の頃にはキャッチボールに没頭していた。学童野球や中学時代に出場機会に恵まれなかった向輝さんは「アンダースローで投げたら試合に出してやるよ」と心無い言葉をかけられたこともあったそうで、渡辺氏は「本人は相当悔しかったそうです」と振り返った。
息子が勉強に目覚めたのは意外なきっかけだった。小学4年生の頃、近所のスーパーで配られていた塾のチラシに「学力チェックテストでいい点数を取るとNintendo DSがもらえる」との一文。試しに受けたら好成績を収め、大人から褒められたことが自信となった。親としては野球との両立を心配したが、塾の先生から「野球を取り上げると集中力が落ちるかもしれない」と助言を受け、メリハリを重視する方針を選んだという。
海城中学から高校にあがった向輝さんは、父が渡辺俊介であることを周囲に隠しながらプレー。東大で活躍する先輩に憧れを抱いていた。「神宮でレギュラーになるなら東大以外は無理だ」。そう漏らしていた息子に、なぜそこまでこだわるのかと尋ねると、返ってきたのは「今何やりたいかわからないけど、とりあえず選択肢が増えそうだから」という言葉だった。自らの意思で定めた目標だった。

この春から一般企業に就職「楽しそうにやっていますよ」
父と比べられることを避けるため「オーバースローで速い球を投げて活躍するんだ」と歩んできた野球人生。それでも「六大学に行ったら周りのレベルが高すぎて、140キロ出ても抑えられない」と、大学2年でアンダースローへ転向した。もっとも近い位置に最高のお手本がいたが、たまに実家に帰った際に不意にシャドーピッチングを始めては「どう?」と技術的な質問を父に投げかける程度だったという。
東大での4年間、憧れだった神宮球場で30試合に登板。1勝13敗、防御率5.07という成績を残し、勝利を求められる野球から“卒業”した。この春から一般企業に就職し、渡辺氏は「楽しそうにやっていますよ」と報告した。
社会人野球「日本製鉄かずさマジック」での監督経験も踏まえ「後になるほど伸びている選手はプロ野球でも多い」と語る。高校時代は控え投手だった選手が、後にエース級へ成長した例も目にしてきたという。
「子どものうちから早く花を開かせようとする気持ちはわかるのですが、そこをグッとこらえて後で花開かせてあげた方が伸びしろは大きいです」。教えずに見守り続ける。野球と受験を両立した息子を陰で支えた、名投手の流儀だった。