小谷野コーチは2010年に打率.311、16本塁打、109打点で最多打点のタイトルを獲得
30本塁打も、40本塁打も打ったことはない。それでも4番打者としてシーズン100打点の壁を越え、タイトルを手にした男がいる。阪神・小谷野栄一打撃チーフコーチ。日本ハムでの現役時代、2010年シーズンでの話だ。
時は流れて2026年、阪神は巨人と熾烈な優勝争いを演じている。この局面で打線を束ねる指導者の原点をたどると、今の阪神に必要なものが見えてくる。
2010年、日本ハムの三塁手だった小谷野は全144試合に出場。打率.311、16本塁打、109打点で最多打点のタイトルを獲得した。この年の日本ハムのチーム本塁打数は91本で、パ・リーグで最も少なかった。チーム総打点585のうち、約20%を1人で叩き出した計算になる。
20本塁打未満での100打点到達は1948年の藤村富美男以来、62年ぶりとされる。初代ミスタータイガース以来の記録を持つ男が、いま阪神のベンチにいるのも何かの縁だろう。
「繋いでいこうという意識で打席に立っていただけ」
それでも、当時も現在も本人に「4番の打点王」という意識は、まるでなかったと言う。
「100打点で打点王を経験したシーズンは、4番としてではなく6番で開幕を迎えているんです。4番の高橋信二さん(現オリックス打撃コーチ)が離脱したことによって、僕が4番に入ったという形ですね。だから元々、自分が4番だという意識でプレーはしていませんでしたよ」。
当時の日本ハム打線には、田中賢介、森本稀哲、稲葉篤紀、中田翔、陽岱鋼ら才能豊かな選手が並んでいた。
「できるだけいい状況を次のバッターに残した状態で、繋いでいこうという意識で打席に立っていただけです。その結果として、打点だったり、そういう数字が残っていったということですかね」
小谷野コーチは、自らをこう定義する。「1番から9番までの全打順を経験しているようなバッターですし、4番であろうが、送りバントだってする選手でしたから(2010年は6犠打、2012年はリーグトップの40犠打)。30本とかホームランを打てる選手は90打点くらい挙げるかなというイメージはあると思うんですけど、自分はそういう打者ではないですからね」。
日本ハムで4度、オリックスで3度、阪神で1度…計8度のリーグ優勝に関わる
打点王を決めた当時も、球団を通じて「前を打つ選手の出塁と、いい走塁があったから」と周囲への感謝を口にしている。開幕から好調な時期も不振の時も使い続けてくれた梨田昌孝監督ら首脳陣への謝意も添えている。打点は1人では稼げない。その実感は16年たった現在も言葉の芯にある。
選手として日本ハムで4度、コーチとしてオリックスで3度、そして阪神で1度。計8度のリーグ優勝に関わってきた。7連敗の渦中にあった9月中旬も状況打開のため、打線に策を授け続けてきた。そのベースにあるものは、現役時代の打席での哲学と地続きなのだろう。自分が決めるのではなく、次へ良い形で渡す。数字を追うのではなく、その打席ですべきことをする。結果は後からついてくる。
現在の阪神には、佐藤輝明と森下翔太という本塁打を量産する打者がいる。小谷野コーチ自身は、そういうタイプではなかった。だからといって、彼らに自分の型を押しつけることはない。指導の目的は、選手のベストを引き出すことにある。
ただ、打線は長打だけでは回らない。塁に出る者がいて、走者を次の塁に進める者がいて、還す者がいる。4番だろうが6番だろうが、ときに犠打も決めながら109打点を挙げた男は、その循環の価値を誰よりも知っている。優勝マジックの数字も、背後に迫る巨人の足音も、打席の中では関係ない。次の打者に何を残すか。“繋ぎの4番”のイズムがゴール目前の虎打線に静かに息づいていればいいのだが…。
(楊枝秀基 / HideKi Youji)