桑田&清原とも対戦した“埼玉の古豪”復活へ 松坂大輔を支えた功労者の82歳もグラウンドに…指揮官も感謝するOBの尽力

「41期生」として母校・所沢商を率いる穐本捺希監督【写真:河野正】「41期生」として母校・所沢商を率いる穐本捺希監督【写真:河野正】

古豪復活への一歩…地区予選を突破し、5年ぶり秋季埼玉大会出場の所沢商

 創部6年目で夏の甲子園初出場という“スピード出世”を遂げた所沢商は、ここから8年間で甲子園の土を3度踏み、埼玉県高校球界の盟主の仲間入りを果たした。県内の商業、工業高校で全国選手権最多出場は熊谷商工(現・熊谷商)の5度で、所沢商は2番目。そんな古豪も近年はすっかり勢力が衰えていたが、この秋が復興への境目になるかもしれない。

 2022年春季大会から雌伏の時を経て、今秋の西部地区予選を勝ち抜き、2021年の秋以来5年ぶりとなる県大会出場を決めた。

 主将で遊撃手の杉田礼夢(2年)は、中学生の頃から所沢商の低迷を認識していたが、それでもこの伝統校を選んだ。「僕らの力で復活させたいという思いが強かったんです。今回、地区予選で勝てたことはうれしいけど、自分たちはここが終わりじゃない。来年の夏はベスト16に入るのが目標だし、この秋も最低16強までは勝ち上がらないといけません」と気骨のあるところを見せた。

 2年生の主力選手に話を聞くと、多くの部員が同じように強い覚悟と旺盛な意欲をにじませているのだから、指導陣にとっては心強い限りだろう。

 今や埼玉を代表する「2強」に栄達した浦和学院と花咲徳栄がまだ弱小で、春日部共栄も聖望学園も台頭してくる以前の所沢商は、各大会で優勝候補の一角に挙げられる常連だった。最大の好敵手が上尾で、川口工や熊谷商、川越工や大宮工、春日部工といった公立のつわものと激しい覇権争いを繰り広げたものだ。

 現在母校を率いる穐本捺希(あきもと・なつき)監督は2011年度に卒業した41期生だが、「自分たちの代も強かったわけではなく、県大会には出ましたが初戦敗退ばかりでした。最後の夏も初戦の2回戦で狭山ヶ丘に負けています」と回想する。特に21世紀に入ってからは、これといった成績を残せないまま年月が過ぎていった。

5年ぶりとなる県大会出場を決め“古豪”復活へ日々練習を重ねる所沢商の選手たち【写真:河野正】5年ぶりとなる県大会出場を決め“古豪”復活へ日々練習を重ねる所沢商の選手たち【写真:河野正】

穐本監督が感謝するOB会長の指導「ありがたい限りです」

 所沢商が全国選手権埼玉大会で初めて上位に顔を出したのが、ベスト8に進んだ1975年だ。春季大会では準優勝して初の関東大会出場。翌年の1976年には決勝で宿敵・上尾を逆転で下し、創部6年目にして夏の甲子園出場を成し遂げた。2年後の第60回全国高校選手権(1978年)には2度目の出場を果たし、1回戦で小城(佐賀)を9-2と圧倒。念願だった甲子園での1勝を手にする。

 3度目出場の第65回大会(1983年)では、1年生の桑田真澄と清原和博を擁したPL学園(大阪)と1回戦で対戦した。

 6回まで0-0だったが、7回の4失点が響いて2-6で敗れた。PL学園は勝ち進んで2度目の優勝を飾る。

 第60回大会に出場した時の「1番・中堅」が野球部OB会長の山田浩靖さんで、16年前から外部コーチとして平日を除いてグラウンドに足を運んでいる。「指導というより、ちょっとアドバイスするだけですよ。打撃や走塁など総合的に目についたことを助言するくらいのお手伝いです」と笑いながら答えた。

 控えめなOB会長だが、穐本監督は「適切な指摘ばかりで、もう本当にありがたい限りです。私のやり方で指導すればいいと偉大な先輩が奮い立たせてくださるので、変なプレッシャーを感じることはありません」と感謝する。

 打撃練習が始まるとケージの後ろに立ったままじっと選手の動きに目を配り、気が付いたことがあった時だけ声を出す。「穐本監督が野球ばかりか、社会に出た時に必要なことを教えているので、チームがまとまってきましたね。全力疾走や全力発声など、平凡なことでも全員がきちんと実行しているのが、組織力の向上につながっていると思います」とチームの変化を感じ取る。

 古豪や伝統校というのは野球部に限らず、口うるさい卒業生がいるものだが、所沢商には“一丁、もんでやるか”といった場をわきまえないOBはいない。

甲子園に3度導いた高鍋尚典元監督(右)と野球部OB会長の山田浩靖さん【写真:河野正】甲子園に3度導いた高鍋尚典元監督(右)と野球部OB会長の山田浩靖さん【写真:河野正】

甲子園に3度導いた高鍋尚典元監督が与える、含蓄に富んだ助言

 創部から短期間で強豪に育て上げ、輝かしい歴史を刻んだ最大の功労者が高鍋尚典元監督だ。82歳になった今は、所沢市内の幼稚園で園長を務めて7年目。月~金曜までフルタイムで勤務する。

「幼稚園が忙しくてね、なかなか来られなかったんですよ。でも選手が集まり、きちんと練習できるようになったので土日は来ています。アドバイス? ほとんどしません。顧問の先生が3人いますし、山田君が見ていてくれますから」

 とは言うものの、横を通る選手を捕まえては含蓄に富んだ助言を与え、投球練習の合間にはフォームについて意見を投げかける。捕手で4番の遠藤斐湧(ひゅう、2年)は「君のリードが良かったから秋の地区大会を勝てたんだよ、って言ってもらえました。うれしかった」と口元を緩ませた。

 高鍋さんは定年前の1999年1月に退職し、プロ野球西武ライオンズの選手育成管理担当に就任。松坂大輔投手らの育成や私生活などをサポートした。懇意にしていた東尾修監督からの要請だった。

 秋の地区予選は2試合とも観戦した。「サヨナラで勝った代表決定戦は、何年も県大会に出られなかったチームとは思えなかった。5年間の苦労が実ったんでしょうね。伝統の力と言ってもらえるのはありがたい。ネット裏にいると、『高鍋さん、所商が、県立が強くないと面白くない』って大勢が寄ってきます。かつての所商に近づけるよう頑張ってほしい」と穏やかな口調で述べた。

 伝統というのは抽象的な言葉の響きだが、所沢商を見ているとそれがはっきり目に映った気がする。

(河野正 / Tadashi Kawano)

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