田代学氏「MLBクロニクル〜元全米野球記者協会理事の追憶」連載第1回
2026年のワールドシリーズは、ナ・リーグ王者ブルワーズとア・リーグ王者レイズの対戦となった。どちらが勝っても球団史上初の世界一となる歴史的カードは、ブルワーズが制して幕を閉じた。この大舞台で“戦う”のは選手や監督だけではない。一瞬の判定を担う公式記録員もまた、重圧と向き合う。13年前、その席に日本の記者で初めて座ったのが、サンケイスポーツ元MLB担当記者・田代学氏だった。2000年代のMLBとの比較や日本メディアの変遷を描く新連載『MLBクロニクル〜元全米野球記者協会理事の追憶』の記念すべき第1回。一つの判定も誤れない記録員席には、どの取材とも異なる緊張感が待っていた。長年、MLBで取材を続けた田代氏の証言と体験から紐解いていく。
すでに13年も前のワールドシリーズの追憶である。当時の記憶をたどるようにネット検索していると、米有力紙『ニューヨーク・タイムズ』の電子版(2013年10月22日付)に小さな記事がまだ残っていた。
THREE SCORE Just as there are two extra umpires for postseason games, there are also two extra official scorers for the World Series. For Game 1 this year, the official scorers are a writer from Boston, Mike Shalin; a writer from St. Louis, Rick Hummel; and, for the first time, a writer from Japan — Gaku Tashiro of Sankei Sports, who was also the first Japanese reporter to cast a ballot for the Baseball Hall of Fame.
(3人の記録:ポストシーズンの試合に審判員が2人増やされるのと同様に、ワールドシリーズでは公式記録員も2人追加される。今年の第1戦における公式記録員は、ボストン出身記者のマイク・シャリン、セントルイス出身記者のリック・ハンメル、そして日本の記者では初となるサンケイスポーツの田代学である。なお、彼は日本の記者として初めて野球殿堂入り投票の投票権も得ている)
この記事のとおり、2013年のボストン・レッドソックスとセントルイス・カージナルスによるワールドシリーズで、筆者は日本の記者として初めて公式記録員(オフィシャルスコアラー)を務めた。
2001年にサンケイスポーツの特派員として渡米して13年目のシーズンだった。殿堂入り選手やMVPの選出を行う全米野球記者協会(以下BBWAA)の理事を務めたことから大役に指名された。
米国とカナダ以外の記者が公式記録員を務めるのは、109回目を迎えるワールドシリーズ史上初めてのことだった。ワールドシリーズの記録とともに名前も残る一方、ミスをすれば「日本の記者は野球を知らない」と批判されかねない。大きな重圧と不安を感じたが、思い切って引き受けた。あの身の引き締まるようなプレッシャーは、それまでのどの取材経験とも異なる独特なものだった。
なぜ記者が判定を下すのか? MLB公式記録員の「偏り」と歴史
MLBにおける公式記録員の歴史は興味深い。かつては長きにわたりBBWAAに所属する担当記者(ビートライター)が持ち回りで務めていたのだが、そこには根深い問題が潜んでいた。「ホームタウン・アップグレード」と呼ばれる地元贔屓(びいき)の判定である。
たとえば、地元球団のスター打者が放った三遊間への鋭いゴロを相手遊撃手が弾いた際、公式記録員を務める地元記者は「内野安打」と判定しがちだったという。打率が上がるからだ。逆に、地元のエースが登板している場面では、微妙な打球を「失策(エラー)」と記録。たとえ、その失策で出した走者に生還されても自責点にならないように配慮することがあったようだ。
大半の公式記録員は公平だったと信じたいが、地元贔屓や選手の好き嫌いで判断がブレてしまうと記録の信頼性が薄らいでしまう。打率や防御率が変われば、年俸交渉にも影響する。そもそも日ごろから選手と距離の近い担当記者が記録員を兼ねているだけで、微妙な判断には常に偏りの懸念がつきまとい、不公平感も広がっていた。
記録やデータの重要性が飛躍的に高まったこともあり、MLB機構は1980年までに現役の担当記者を公式記録員から完全に外す決断を下した。現在では、MLB機構が直接選任・雇用する完全独立の体制を敷いている。
だが、BBWAAも公式記録員から「完全撤退」はしなかった。レギュラーシーズンでの公式記録員は1人だが、オールスターゲームとワールドシリーズでは2人を増員。新聞記者が公式記録員を務めてきた「伝統」を残したのだ。歴史を重んじる米野球文化の一面ともいえるだろう。
冒頭の記事にあるように2013年ワールドシリーズ第1戦で公式記録員を務めたのは3人。ボストンにあるレッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークでレギュラーシーズンの公式記録員を務めているマイク・シャリン氏、2006年に記者の野球殿堂入りともいえる『BBWAAキャリア・エクセレンス賞(旧称J.G.テイラー・スピンク賞)』を受賞した『セントルイス・ポスト・ディスパッチ』紙の大ベテラン、リック・ハンメル記者、そして筆者だった。2人はワールドシリーズに進出した両球団にかかわりがあるため、中立的な立場の筆者が選ばれたのだろう。
公式記録員の仕事は単にスコアカードを埋めるだけではない。「失策」か「内野安打」か、「暴投(ワイルドピッチ)」か「捕逸(パスボール)」か、など判定が微妙なプレーにも瞬時の判定が求められる。その場合には、即座にモニター映像を見ながら協議の上、多数決で決めることを試合前に確認。球数や各記録を記者席などにアナウンスするのはシャリン氏となった。
「僕のことより、そっちを報じて」田澤純一投手からの激励
当時のBBWAAには約700人が所属。その代表として公式記録員を務める反響は予想以上で、米メディアに報じられ、友人の米国人記者からは「記録のアナウンスを日本語でしろ」とか「上原(浩治投手)のワイルドピッチをパスボールにするなよ」などと、からかわれた。
筆者が所属する『サンケイスポーツ』でも最終面で大きく取り上げられた。ワールドシリーズ開幕前日の会見では、レッドソックスの田澤純一投手から「日本人初なんてニュースじゃないですか。僕のことより、そっちを報じてください。試合はしっかり見てくださいね」と激励の言葉をかけられたのも懐かしい思い出だ。
ワールドシリーズ開幕を迎えたレッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークは、1912(明治45)年に完成したMLB30球団で最古の球場だ。シンボルは、左翼にそびえ立つ高さ11.3メートルの巨大フェンス「グリーンモンスター」。「米国で最も愛されている球場」といわれ、古都ボストンを代表する建築物でもある。そのネット裏上方に位置するプレスボックス最前列に公式記録員席は用意されていた。
筆者の脳裏に蘇ったのは、同じレッドソックスとカージナルスが対戦した2004年のワールドシリーズの光景だった。フェンウェイ・パークで大半の日本メディアは外野席や観客席下に設けられた臨時記者席に座っていたのだが、今回はメインのプレスボックスに最低でも各社1席が割り当てられていた。この10年でMLBにおける日本メディアの存在が大きくなり、取材環境が向上したことを実感できた。もちろん、その最大の要因となったのは、日本選手の長年にわたる活躍である。
試合の中継中に紹介も…厳格な父からの「喝」
ワールドシリーズ第1戦は、8-1でレッドソックスが先勝。記録的にも判断の難しいプレーはなかった。第2戦も公式記録員を務めたのだが、ここで思わぬ「落とし穴」が待っていた。
この試合はNHKBSが生中継。引退して解説者に転身したばかりの田口壮氏(カージナルスとフィリーズでワールドシリーズ制覇)が、公式記録員を筆者が務めていると紹介してくれた。
ここまではよかったのだが、座っているのはプレスボックスの最前列。画面にアップで映っているとは気づかず、普段と同じようにガムをかみながらスコアをつけていたのが、マズかった。
試合直後には日本で中継を見ていた父親から携帯に電話がかかってきた。開口一番、こう言われた。
「ガムを嚙みながら試合を見ているなんて、態度が悪いぞ!」
ガムを噛む運動の刺激が脳幹や前頭前野に伝わって脳血流が高まり、集中力や処理速度が向上する科学的な効果が認められている、などと言い訳をしても、あとの祭り。厳格な父親から「喝」を入れられたことは、今思い出しても苦笑してしまう。
(後編につづく)
(田代学 / Manabu Tashiro)
◎プロフィール
田代学(たしろ・まなぶ)
1967年東京都生まれ。國學院大、米オハイオ大卒。1991年に産経新聞社入社。サンケイスポーツでプロ野球のヤクルトと巨人、1998年長野と2000年シドニーの両五輪を担当。2001年から2013年まで米国に駐在して大リーグを取材した。日本の記者では初めて全米野球記者協会の理事やワールドシリーズの公式記録員を務めた。米国での愛称は「ガク」。主な著書は『はるかなる野球大国をたずねて』(東京書籍)。現在は、サンケイスポーツゼネラルプロデューサー。