「人的補償」が生んだ明暗 新天地で盗塁王獲得、わずか1年で戦力外も…功労者が移籍の波紋

福地は2年連続タイトル、赤松も飛躍…脇谷はFAで巨人に復帰
日本野球機構(NPB)は30日、2027年オフからFA移籍に伴う人的補償を撤廃し、ドラフト指名権か金銭による補償に移行すると発表した。過去には、新天地でタイトルをつかんだ選手もいれば、わずか1年で戦力外となった選手もいた。FAでの補強の裏で、別の選手の野球人生も変えてきた制度が、大きな転換期を迎える。
直近でも象徴的な巡り合わせがあった。同日、巨人から楽天への金銭トレードが発表された甲斐拓也のFA移籍に伴い、2025年1月に巨人からソフトバンクへ渡った伊藤優輔だ。1軍通算8登板だった右腕は、今季34試合に登板して防御率1.98を記録。獲得した大物選手が出場機会を減らしてチームを去る一方、補償として放出された若手が新天地で花開くという、人的補償ならではの“皮肉”な形となった。
人的補償の歴史は1995年オフに遡る。河野博文の巨人へのFA移籍に伴い、1軍未登板だった川邉忠義が日本ハムへ移った。球団が指名から除外できる「プロテクト枠」は28人。将来有望な若手を守れば功労者が漏れ、ベテランを囲い込めば有望株を奪われるジレンマは、時にファンの感情を激しく揺さぶる。
2018年オフには炭谷銀仁朗の補償で内海哲也が西武へ、丸佳浩の補償で長野久義が広島へ移籍。巨人の黄金期を支えた生え抜きの看板選手が同時に流出した事態は、制度の功罪を巡る大きな議論を呼んだ。
移籍を飛躍につなげた代表例が福地寿樹だ。石井一久の補償で2007年オフに西武からヤクルトへ渡ると、翌2008年にプロ15年目で初の規定打席に到達。打率.320を記録し、42盗塁で初の盗塁王に輝くと、翌年も42盗塁で2年連続でタイトルを獲得した。同じオフに新井貴浩の補償で阪神から広島へ移った赤松真人も、阪神で3年間計36試合だった出場が、移籍1年目には125試合に増加。海外にも反響を呼んだ“スパイダーマンキャッチ”を武器に、2010年にはゴールデン・グラブ賞を受賞した。
投手では一岡竜司が、大竹寛の補償で巨人から広島へ移った2014年に31試合、防御率0.58をマーク。巨人での2年間は計13登板だった右腕が、救援陣の一角を担った。近藤健介の補償で2023年にソフトバンクから日本ハムへ移った田中正義も、移籍前は未勝利、セーブなし。新天地では初年度から抑えを任され、25セーブを挙げた。
だが、全員が移籍の好機を生かせたわけではない。森友哉の補償で2023年にオリックスから西武へ移った張奕は、故障もあって5登板、防御率9.00にとどまり、わずか1年で戦力外となった。野上亮磨の補償で2017年オフに巨人から西武へ移った高木勇人も、2年間で計10登板。巨人では新人年に9勝を挙げたが、西武では定着できず、2019年オフに戦力外通告を受けた。
人的補償での移籍後、再びFAが転機となったのが脇谷亮太だ。2014年に片岡治大の補償で巨人から西武へ移り、2年間で計214試合に出場。2年目の2015年には打率.294を記録し、同年オフにFA権を行使した。人的補償で離れた巨人へ、今度は自ら得た権利で戻った。
選手会は今回の合意に際し、選手側から人的補償の撤廃を求める声が長年根強かったと説明した。本人の意思によらない強制的な移籍リスクを取り除くことは、選手が正当に権利を行使しやすい環境作りにつながる。主力を失う球団への対価を「将来のドラフト指名権」へと形を変えることで、チーム間の戦力均衡と選手のキャリア保護を両立できるか。2027年オフの導入、そして2029年オフの再検証に向け、球界の勢力図と移籍市場は新たな局面を迎える。
(Full-Count編集部)