控えから這い上がった156キロ右腕の安堵 張り詰めた表情…広島4位で緩んだ瞬間

広島4位・吉川凌平がトレーナーと築き上げた4年間
最初にこぼれたのは、歓喜の声でも雄たけびでもなかった。10月22日に開かれた「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」で、千葉商科大の吉川凌平投手が広島から4位指名を受けた。最速156キロを誇る右腕は、自分の名前が呼ばれると「本当にほっとした、という言葉がいちばんです」と、ようやく表情を緩めた。同大からのプロ入りは、1997年にダイエー(現ソフトバンク)から指名された同大の木村茂コーチ以来、29年ぶりとなる。
千葉・市川市のキャンパスに設けられた会見場は、野球部員や関係者、報道陣で埋まった。会議開始から1時間がたっても名前は呼ばれず、会場には少しずつ不安な空気が流れた。4巡目、「広島東洋、吉川凌平」と読み上げられると、大きな拍手が沸き起こった。感謝を伝えたい相手を問われると、言葉を選びながら「生まれてから今まで育ててもらった両親と、兄に一番伝えたいです」と答えた。
高校は千葉の名門・習志野。だが、当時を振り返る口ぶりは苦い。「うまくいかないことしかありませんでした。2年の冬から肩が痛くて上がらなくて、ごまかしながらやっていた感じです」。3年夏に背負った番号は「11」の3番手投手。最速は139キロだった。「経験としては得がたいものでしたけど、結果だけを見たら、全く満足のいくものではありませんでした」。
プロから声がかかるはずもない。それでも、心に決めていたことがある。「ピッチャーだったら環境や実績なんて関係ない。自分がしっかり投げれば、プロに行ける」。転機は、中3時に知人を介して知り合った元ソフトバンク・和田毅氏らのトレーナーを務めてきた土橋恵秀氏との出会いだった。
高校時代は練習が長時間に及び、頻繁には通えず、その間に肩を痛めた。高校野球を引退すると、吉川は自ら連絡を入れた。「この人だったら信頼できるし、頼れる」。迷わず助けを求めた。

監督も認める投手らしい性格「顔は穏やかですが、ものすごく気の強い選手」
土橋氏が見た当時のフォームは、極めてアンバランスだった。吉川本人も高校時代のフォームを、腕の力に頼ったアーム投げで、体の動きがばらばらだったと振り返る。そこから二人三脚で、ゼロからの作り直しが始まった。
効果はすぐに表れ、1年夏のオープン戦で145キロを計測した。「順調にきている手応えがありました。そこで初めて、プロに行けるかもしれないと現実味を帯びてきました」。年々、球威と精度は増し、4年でついに156キロに到達した。高校時代から、実に17キロの上積みだった。
数字以上の武器は、マウンドへの執着心だ。池田朝美監督は「顔は穏やかですが、ものすごく気の強い選手。打たれると悔しさのあまり、ボールボーイにボールを思い切り投げちゃうような子なんです」と明かし、会場の笑いを誘った。リーグ戦は通算25試合に登板して19完投。終盤に交代を打診しても、返ってくるのは決まって「最後まで投げます」の一言だという。「ある意味ではわがままなピッチャー。でも、とにかく練習する子なんです」。
元プロの木村茂コーチは「こういう選手がプロに行くんだろうなと、1、2年の頃から思っていました」と話した。目標は、1年目から先発ローテーションに入り、2桁勝利を挙げること。かつての3番手投手からプロの世界へ。高校時代に「頼れる」と信じた人と積み上げた4年間が、最高峰の舞台への扉を開いた。
(豊嶋彬 / Akira Toyoshima)