「契約する意思はございません」公衆電話で10円玉1枚の通達…元巨人捕手が転職で「年商40億円」

取材に応じた元巨人・阿野鉱二さん【写真:井上学】
取材に応じた元巨人・阿野鉱二さん【写真:井上学】

巨人生活22年間の阿野鉱二さん 突然の通告は「10円玉1枚」で電話を切られた

 プロ野球はドラフト会議に新監督誕生と来季へ向けた動きが進む。同時に球団の構想から外れ、球界を離れる人たちも出てくる。鉄骨、床版工事など建築業のスチールエンジ株式会社で社長、会長を務め、現在も同業他社の顧問で活躍する78歳の阿野鉱二さんは、巨人に現役捕手で7年、コーチで15年と22年間在籍した。退団後に全く新しい道を選んだ。阿野さんは「ユニホームを脱いでからの方が人生は長いんです」と語る。青天の霹靂(へきれき)から華麗なセカンドキャリアを構築した体験を聞いた。

「10月31日でした」。阿野さんは、運命が変わった日をはっきりと記憶する。1991年の秋、ジャイアンツはルーキーだった元木大介内野手ら若手が米国アリゾナ教育リーグに参加。2軍トレーニングコーチだった阿野さんも引率者の1人だった。27試合を戦い、帰国したばかり。友人と東京・六本木の寿司店で食事中、夫人から「球団が電話が欲しいと言っている」との知らせを受けた。

「携帯がまだそんなに普及していない頃です。公衆電話から連絡を入れると、球団代表から『来季契約する意思はございません』と伝えられ、ガチャンと切られた。(時間にして)10円玉1枚。その電話1本だけで僕はクビになりました。アリゾナでは次期2軍監督の末次(利光)さんから『来年は俺を助けてくれよ』と言われていました。巨人に20年以上もずっと居てね……。もう衝撃ですよ。衝撃でしかなかったですね」

 阿野さんは当時43歳ながら、既にトレーニング方法を指導する本を2冊も出版する程の実績があった。すぐさま他球団からのオファーも受けた。そんな中、この年限りで巨人を退いた松原誠1軍打撃コーチから建築業の会社を紹介された。衝撃の1日から僅か3日後の11月3日、その会社を訪問した。全く未知の世界に挑戦する決断をした。

「僕の実家は商売人でしてね。子どもの頃は算盤も得意で、数字は好きだった。商売については大体分かります。それにサラリーマンを一回やってみたい気持ちがありました。プロ野球は毎年1年ごとに契約を更新していく形。そこで監督が代わっても生き延びてきましたけど。今度は月給を貰った方が女房も安心するんじゃないかって思ったのです」

仕事に「元プロ野球のプライドは関係ない」 野球同様に「好き」ならば頑張れる

 巨人から12月まで年俸が支給されるため、1992年の新年を待って建築会社の営業として人生の再スタートを切った。「デッキプレートといって鉄骨関連の工事。僕は早稲田大学出身ですが、教育学部で理工学部じゃありません。構造設計とかゼロから入りました。頭を下げて、飛び込んでいきました」。全てが勉強で経験すればするだけ糧になる。仕事を覚えるのに3年かかったと述懐する。

 新天地でも野球が役立ったという。「プロ野球だとフロントがいて、監督がいて、コーチがいて、選手がいます。ゼネコンもそのライン、現場の所長がいて、調達部がいて、監督がいて、1次業者、2次業者がいて下請けさんがいて、職人さんがいる。人間関係とか似ていましたね。整理整頓とか道具を大事にするのも同じ。あとは結果を出す事も同じ。これが一番」。阿野さんは“元捕手”らしく各々の役割を把握した上でまい進した。順調に出世の階段も上がっていった。

 ところが、入社8年目の1999年に最初の会社が倒産した。社長と連絡が取れなくなった。それでも取り掛かっていた工事は続行する必要があった。ベンチがグラウンドの扇の要を信頼するように、阿野さんは実直な働きぶりから、関係者から新会社の設立と社長就任を求められた。それが「スチールエンジ」の起点だった。6人で始めた新会社では社長3年目に「年商40億円」を達成し、軌道に乗せた。その後、6人の内の1人で元巨人投手の松谷竜二郎さんに社長のバトンを渡した。

 阿野さんは第二の人生で当初、心掛けた事があるという。「自分から元プロ野球選手、コーチだという話はしませんでした。思いを消していた。一からというよりゼロからだからね。元どこどこの選手とか、プライドとか全く関係ないですよ。仕事は」。その姿勢が信頼と結果を生み、そこから逆に元プロ野球人と知れ渡るようになった。

 阿野さんは「今考えると、あの時は衝撃だったクビの電話があって、逆に良かったのかも分からないね。今、あの電話があって良かったと言えるぐらい、その後の僕が頑張れた形でもあるのかな。周りの人に支えられたおかげで、運も良かったんですけどね」と回想する。

 今年も球界から去らざるを得ない人たちがいる。阿野さんは熱いメッセージを贈る。

「野球も最初は好きで楽しくて、やっていたでしょ。みんなプロにまでたどり着くのだから力はあります。でもプロ野球は毎年12人が入れば12人が辞める世界。それは仕方がない。次の世界でも、好きな事を見付けて欲しい。そうすれば一生頑張れるはずですよ」

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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