生卵事件やON対決での悔し涙… V4達成の王会長が“戦友”に送った1通のメール

ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】
ダイエーの球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏【写真:編集部】

1996年に起こった伝説の生卵事件、瀬戸山氏は「ヘルメットを被ってでも守れ!」

 2020年のプロ野球はソフトバンクが圧倒的な強さを見せつけ日本シリーズ4連覇を飾った。投打でスター選手を揃え12球団随一の育成力で“常勝軍団”を作り上げたが、ホークスの福岡移転となった1988年は苦しいスタートだった。当時、ダイエーの球団経営に携わり球団本部長、球団代表を務めた瀬戸山隆三氏が福岡移転の真相、王貞治監督誕生など当時を振り返る。第4回は「生卵事件」から悲願のON対決。

 王ダイエーの初陣となった1995年。西武からFAで工藤公康、石毛宏典、そしてメジャーリーガーのケビン・ミッチェルを獲得するなど大型補強で優勝候補に上げられたが借金18のリーグ5位に終わる。1996年も開幕から最下位に低迷すると5月9日の近鉄戦(日生球場)ではとんでもない事件が起きる。

 2-3で敗れた試合後に激怒したファンが王監督、選手らが乗ったバスを取り囲み生卵が投げつけられた。今では考えられないが、当時はファンがグラウンドに降りてくるなど球場警備も手薄な時代だった。瀬戸山氏は当時を振り返る。

「絶対に王監督に危害がないように! と。仮に卵が当たった写真をマスコミに撮られたりしたら生涯の汚点になる。マネジャーとかには『ヘルメットを被ってでも守れ!』と、もう必死でした」

 発煙筒、生卵、ゴミが次々に投げられる屈辱を味わった王監督。宿舎に帰るバスの中で怒りを爆発させるかと思ったが、チーム、ナインに口にした言葉は違った。

「情けない試合をするからこんなことが起きるんだ。悔しかったら勝つしかないんだ」

 王監督から常に巨人と比べられる日々を過ごしてきたナインの中には、この言葉を重く受け止めるものも少なくなかった。瀬戸山氏は「バスの後ろに陣取っていたベテランの中には『何言ってんだよ』という顔もしていたが、当時、3年目だった小久保は言葉を受け止めていた。『監督の言うことは当然ですよ』と私の耳元で口にしていました」。負け癖がついたチームの中で希望が見えた瞬間だった。

ON決戦で敗れ、バーを貸し切ったミーティング会場で流した王監督の悔し涙

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