退団が発表されたソフトバンク川崎宗則 日米で愛された18年間の足跡
両足のアキレス腱痛で離脱、その後は自律神経の病に悩まされる
ソフトバンクから自由契約となり、退団することが決まった川崎宗則内野手。昨季開幕直後にカブスからフリーエージェントとなり、古巣のソフトバンクに電撃復帰した。約1か月間ファームで調整を行うと、4月末に1軍に昇格。持ち前の明るさで、この時調子が上がらなかったチームに、新たな風を吹き込んだ。
ただ、その裏では天然芝の米国から日本に戻っての人工芝でのプレーとなり、身体には大きな負担がかかった。両足のアキレス腱に痛みが出て、7月末にチームを離脱。リハビリを経て9月下旬、ウエスタンリーグで実戦復帰を果たしたが、その復帰戦で再び足を痛めて離脱した。
本人が球団からのリリースを通じてコメントしたように、自律神経の病気にもなり、一時は入院もしていたという。昨オフは球団行事も全て欠席。契約更改交渉も行われず、未契約のままとなっていた。
明るいキャラクターで日米のファンから絶大な人気を誇っていた川崎は鹿児島県姶良市の出身。県立鹿児島工高から1999年ドラフト4位でソフトバンクの前身であるダイエーホークスに入団した。1軍デビューは2年目の2001年。先発出場した10月3日のオリックス戦(グリーンスタジアム神戸)だった。
4年目の2003年に遊撃の定位置を掴むと、2004年には171安打で最多安打、42盗塁で盗塁王と2つのタイトルを獲得した。2006年にはWBC日本代表に選ばれ、キューバとの決勝戦では9回にイチローの右前適時打で、二塁から本塁へ生還。捕手のブロックの隙間に右手をホームにねじ込んだプレーは大きな反響を呼んだ。この時、川崎は右肘を負傷。シーズン序盤は欠場を余儀なくされた。
その後は怪我が相次いだものの、2009年に143試合に出場。2010年には全試合出場を果たし、自身最多の190安打、打率.316をマークした。2012年には海外FA権を行使して、メジャーリーグへ挑戦することを表明。マリナーズとマイナー契約を結び、大ファンとして憧れ、夢であったイチローとのプレーを現実のものとした。
開幕をメジャーに昇格して迎え、デビュー戦で初安打初打点をマーク。メジャー1年目は61試合に出場したものの、オフに自由契約となった。2年目の3月にブルージェイズとマイナー契約。4月にメジャー契約を結んでロースター入りし、96試合に出場した。3年間在籍したブルージェイズでは、1年目の96試合が最多の出場で、2年目から82試合、23試合とメジャーでの出場を減らした。