日本で覚醒した“赤鬼”の野球人生 わずか4本塁打のMLB時代とは「正反対だった」

フィリーズで監督、コーチを務めたチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】
フィリーズで監督、コーチを務めたチャーリー・マニエル氏【写真:Getty Images】

チャーリー・マニエル氏はフィリーズで監督として歴代最多の780勝

 かつてヤクルト、近鉄でプレーし、引退後は監督としてフィリーズで歴代最多の780勝を挙げた“赤鬼”ことチャーリー・マニエル氏。米スポーツ専門誌「スポーツ・イラストレイテッド」のフィリーズ専門関連サイト「Inside The Phillies」が、その功績を振り返った。

 チーム創設から139年の間で、55人が監督を務めた。その中でマニエル氏の780勝(636敗、勝率.551)は球団歴代最多だ。2000~2002年までインディアンスでも指揮を執っており、監督としての通算成績は1000勝826敗となっている。

 現役時代はというと、マイナーでは1974年の30発を含む通算133本塁打を記録するも、MLB時代は6年間プレーし通算打率.198、4本塁打43打点と結果を残せず。しかし1976年に来日すると、ヤクルトと近鉄の計6年間で通算打率.303、189本塁打491打点、長打率.604の成績を残し「メジャー時代とは正反対だった」「一大勢力」と評される活躍だった。

 1979年には、開幕から驚異的なペースでアーチを量産していたが、6月9日のロッテオリオンズ戦で八木沢荘六投手から顔面に死球を受けて顎を複雑骨折。戦線離脱を強いられたが、97試合の出場ながら37本塁打で本塁打王を獲得して近鉄のリーグ優勝に貢献した。

 日本でのキャリアを終えると、ツインズでスカウトとして働き、その後に当時球団傘下1Aのウィスコンシンでコーチに就任。マイナーで指導者経験を積み、2000年にインディアンスで監督デビューすると、いきなり90勝72敗と好成績を残した。その後、2005年にフィリーズの監督に就任。2007年にはワールドシリーズに進出した1993年以来となる地区優勝、2008年にはワールドシリーズで現エンゼルスのマドン監督率いるレイズを破り世界一に輝いた。

 フィリーズでの9年間で780勝を記録したマニエル氏は「フィリーズ史上最も成功した監督としての地位を確固たるものにしている。勝利数以外でも、プレーオフでの優秀な成績、おおらかな振る舞い、そして選手たちへの献身性もあり、彼はフィラデルフィアのレジェンドにまで登り詰めた」と称賛を浴びている。

 データ専門サイト「ベースボール・リファレンス」には、マニエル氏の日本時代の“伝説”も。巨人の助っ人投手クライド・ライトや、ヤクルトの助っ人野手ロジャー・レポーズらと飲み仲間だったことや、1980年に息子の卒業式に出席するためにシーズン途中に一時帰国していた“豪快エピソード”も紹介された。

(Full-Count編集部)

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