立浪監督は「へっぴり腰になっている」 “元お世話役”が抱く違和感「遠慮してる」

中日・立浪和義監督【写真:荒川祐史】
中日・立浪和義監督【写真:荒川祐史】

側近中の側近、早川実氏が振り返る闘将との記憶

 惚れた星野の 惚れた星野の でっかい夢がある――。都はるみと岡千秋が歌った「浪花恋しぐれ」の替え歌バージョンを、早川実氏はよく歌った。それがいつしか島野育夫コーチの持ち歌みたいにもなったが……。それほど星野軍団はいつも熱かった。選手への指導も熱かった。星野仙一監督の下で、成長した選手は数多い。時代は変わっても、形は変わっても、本質は受け継がれているはず。その教え子の1人が現在の中日監督・立浪和義だ。

 1987年のドラフト会議で中日に1位指名され、PL学園から入団した立浪。闘将の監督付広報兼投手コーチ補佐だった早川氏は、そのゴールデンルーキーのストレッチをやるのも仕事のひとつだった。「試合前と試合後にね。10分から15分くらい。体のケアってやつ。星野さんにおまえがやれって言われて……」。投手の担当で、野手は管轄外なんて関係ない。星野指令は絶対だ。

「本当は一番、手っ取り早かったんじゃないかな、俺に頼むのが……」。大事な選手を大事に育てる。当たり前のことだが、当時はそこまで細かくなく、さらに徹底させたやり方。指揮官の側近中の側近である早川氏がその役を務めることで、いち早く金の卵・立浪のコンディション情報が星野監督のところにも届く。変化があればすぐわかるし、対処しやすい。これも闘将流だった。

 2022年、その立浪の指揮官1年目はリーグ最下位に終わった。「立浪はあの厳しい時代を知っているからね。でも今はやりたいけど、遠慮しているようにも見受けられる」と早川氏は心配する。「例えば髪の毛を染めたらいかんとか、ひげを生やしたらいかんとか言ったら、そんなの野球するのに関係あるんですかってすぐ反論がくる時代。そういうのにへっぴり腰になっているみたいな感じがする」とも。思い切ってやってほしいと願っている。

3か月に1回のペースで星野さんのお墓参り「まだ生きてますって伝えてます」

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