2軍生活の悲哀を思いに…巨人で歌い継がれた伝説ソング 作詞者は18歳だったV9戦士

巨人で活躍した柴田勲氏【写真:清水しんや】
巨人で活躍した柴田勲氏【写真:清水しんや】

柴田勲氏が作詞した「多摩川ブルース」…2軍生活の悲哀が詰まっている

 巨人には知る人ぞ知る曲があった。かつて練習グラウンドと合宿所があった地名をとり、曲名は「多摩川ブルース」。1番から8番まで続き「人里離れた多摩川に 野球の地獄があろうとは 夢にも知らないシャバの人 知らなきゃ俺らが教えましょう」で始まる。漫画「巨人の星」でも歌われていた。V9戦士のリードオフマン、柴田勲氏が18歳の頃に作詞したものだ。

「要するに合宿所の生活の貧しさ、いつも怒られた寮長の武宮敏明さんを風刺したんだよね。早く寮を出たかった。プロ野球でも2軍は、世間様が思う程カッコいいところじゃないよと。今考えると若かったですね。生意気な歌を作ったもんだなと思います」。柴田氏は苦笑いで振り返る。

 投手で入団も1年目の途中で野手に転向し、スイッチヒッターに挑戦。2年目の1963年6月に「1番・センター」に定着すると、ひそかに計画を練った。「これで大丈夫。もうレギュラーになったんだから何を言われても関係ない。やはり1軍で活躍しないと反抗できませんからね。暮れの納会で、武宮さんの前で歌ってやろう」と思い立った。

 高校3年の時、友人宅で聴いたレコードが元歌。東京都練馬区にある東京少年鑑別所の過酷さを歌った「ネリカン(練鑑)ブルース」だ。「友達は、レコードは出たけど、後に国から発売禁止になったんだと教えてくれました」。メロディーはそのままに、2軍での体験を詩で表現。こうして“多摩川ブルース”が誕生した。

鬼の寮長や当時の2軍監督は歌詞に“実名”で登場

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