阪神を救ったかもしれない“幻のカブレラ入団” 甲子園で漏れた野村監督のため息
台湾でアレックス・カブレラを指導した元南海の立石充男氏
アレックス・カブレラ内野手は2001年から西武に加入し、大活躍した。2002年には王貞治氏とタフィー・ローズ氏に並ぶ当時の日本タイ記録となる55本塁打をマーク。桁違いのパワーを武器に、日本球界ではオリックスを経て、2012年にソフトバンクを退団するまで強烈な存在感を示した。そんな大砲を1999年の台湾・和信ホエールズ時代に指導したのが元南海の立石充男氏だ。当時、阪神監督を務めていた恩師の野村克也氏に獲得を薦めたという。
立石氏は1998年から台湾に渡ったが、当初はそんなつもりはなかったという。元南海の李来発氏がその前年から和信ホエールズの監督を務めたが、結果を残せず、2年目に向けての“補強”で立石コーチに白羽の矢が立った。「来てくれないかって電話があって、1週間、断わっていたんですけどね。ウチの嫁さんに、これだけ熱心に誘ってくれるなら、行ったらどうって言われて、単身で行くことにしたんです」。
和信での2シーズン目に出会ったのがカブレラだった。打撃指導をお願いされ「構えて、重心を落として、そのまま打つ練習をせいって言いました。お前が引っ張ると球場を越えていくよってね」。実際、当時からすさまじいパワーでセンターバックスクリーンさえ越えていく打球を放っていたという。加えて「スライダーを打つ練習も徹底的にやらせた」。そのシーズン、カブレラは打率.320、18本塁打、64打点の成績を残した。