“新湊旋風”に飲み込まれた37年前 元燕の名手が経験…甲子園に棲む「魔物」の正体

野球評論家・飯田哲也氏【写真:荒川祐史】
野球評論家・飯田哲也氏【写真:荒川祐史】

1986年選抜2回戦、拓大紅陵は新湊から4点リードを奪った

 高校野球は、新型コロナ禍の影響で制限されていた観客席の声出し応援が今春の選抜大会から解禁された。甲子園大会では2019年夏以来、3年半ぶりの解禁。ヤクルト、楽天で活躍し、ゴールデングラブ賞を7度受賞した野球評論家の飯田哲也氏は、声援がどれ程の力を持つのかを体感している。拓大紅陵(千葉)の捕手で出場した1986年選抜2回戦で、新湊(富山)に4-7で大逆転負け。「魔物にやられたとしか言いようがありません」。今も語り継がれる“新湊旋風”を振り返った。

 拓大紅陵は前年秋の関東王者として選抜大会へ。「東の横綱」「優勝候補」の呼び声が高かった。洲本(兵庫)との1回戦は8-0と下馬評通りの強さを発揮した。

 飯田氏は先制タイムリーに盗塁も決めた。当時あったラッキーゾーンに放り込む本塁打も放つなど3安打。捕手としても5回に二塁走者の離塁が大きくなったところを逃さず2度も刺し、相手の送りバントを俊敏に処理して二塁封殺と、1イニングの3つのアウト全てを自らの肩で奪う離れ業を演じた。後にプロ野球で外野手に転向し、ゴールデングラブ賞を7度受賞、盗塁王を1度獲得した素質を既に見せつけていた。

 新湊は前年秋のチーム打率が出場32校中で最下位。初戦の相手、享栄(愛知)の大型左腕・近藤真一(元中日)は大会屈指の投手の評価を得ていた。実際、中日入団1年目の1987年、初登板でノーヒットノーランの快挙を達成している。だが、新湊は12三振を喫しながらも、エースの酒井盛政が自らの適時3塁打で挙げた1点を守り抜く“大金星”。春は初出場で、バックネット裏の鉄傘の下まで押し寄せた地元の大応援団の歓声が響き渡った。

 迎えた2回戦で両校は激突。飯田氏は「油断はなかったです」と断言する。一塁側の新湊は、この日も大応援団が初回から大音声。拓大紅陵は臆することなく着実に試合を運び、4-0とリードして6回表を終えた。

6回裏に一挙6失点「僕が思う魔物は緊張感。普段通りできない」

RECOMMEND

CATEGORY