枕元で爆音流し「気絶させるんです」 快眠できず3000日超…オリ宗佑磨の“日常”

オリックス・宗佑磨【写真:小林靖】
オリックス・宗佑磨【写真:小林靖】

2年連続ベストナイン&ゴールデングラブ賞、きっかけは指揮官からの呼び出し

 グッスリと眠れた夜はない。オリックス宗佑磨内野手は、プロ野球の世界に入ってから1度も熟睡できずに朝を迎えている。「結局ね、大好きなんですよ、野球のことが。ずっと考えてしまうんです、ポジティブなことも、ネガティブなことも……。それだけ、必死なんです、毎日。僕にはこの生き方が合っていたのかな」。ベッドに横になると、枕元でスピーカーから音楽を流す。大音量でジャズや洋楽を流し続け、時には奏でるような音で世界民謡を流して、もう3000日を超える。「1回考えたら寝れないんです。だから“気絶”させるんです。ムダなことを考えなくてよくなる。脳を休ませる方法を思いついたのは、18歳の頃です」。“爆音”が習慣となった今だから笑って話せるのだった。

 ワクワクを超えたのはドキドキ、さらには“バクバク”だった。横浜隼人高から2014年ドラフト2位でオリックスに入団。期待と不安を胸に関西の地へ進んだが、現実は厳しかった。小学5年生から野球を始め、持ち前の野球センスから投手と遊撃手を兼任。オリックスに入団してからも数年間はショートを守り“英才教育”を受ける日々が続いた。「もちろん、上手になるために一生懸命プレーしていました。でも……どう練習しても上達している自分が見当たらなかったんです」。悩みを抱える日々だった。

 一緒にノックを受ける“名手”の残像が、脳裏に焼き付いた。「安達(了一)さんより、上手くなれる自信が、僕には全く芽生えてこなかった。なんとか自分のスタイルを発見しようと試行錯誤していたんですけど、手応えはなかった。ショートを守っているときは不安しかなかった。常にマイナス思考でした」。楽しくて始めたはずの野球と向き合い、笑顔が消えてしまった。「それじゃあ、もったいなかった。せっかくプロの世界に辿りついたのに、どうしたいのかが全然わからない自分が数年間、潜んでいました」。

 1度目の転機は2017年オフだった。宮崎フェニックス・リーグで“外野挑戦”を言い渡された。「ショートを守っていた時より、断然、楽しかった。宮崎で外野に挑戦することになって、その直前はファーストを守ってたりしていましたから。『あ、これ、もうショートでは(試合に)使ってもらえないんだな』と思ってました。だから、外野挑戦というよりは『逃げ』に近い感覚でしたね」。本職からの“脱出”に胸の内では喜んでいた。

 外野の芝生を駆け抜ける日々に充実を感じていた。「新しい世界で1からスタートできる楽しさがありました」。そんな中、不意を突かれたのは2020年シーズン途中だった。2軍戦に臨む大阪・舞洲での試合前練習でのこと。当時、外野手登録だった宗は、サードの位置でノックを受けていた。「内野ノックを受ける練習がたまにあったんです。だけど僕、絶対にショートの位置に就かなかったんですよね。楽しい思い出がないから(笑)。だから、ずっとサードを守っていたんです。ただ、理由はそれだけです」。プレッシャーのない心持ちから、軽快な動きを披露していた。

「遊び気分の練習なんだから、エラー何個しても『おい~!』ってイジられるだけ。全くのノンプレッシャーじゃないですか? だから、楽しすぎて、はしゃぎまくってたんですよ(笑)。そしたら、意外とグラブさばきが良いって褒めてもらって。だって、元々はショートだから(笑)。『俺、チョーうめぇ』とか思って、華麗なプレーを連発してたんです。外野手(登録)だったし、内野の守備の基本とか、正直どうでもよかったので、ランニングスローをバンバンに決めてたんです」

“天職”へのコンバートは「プレッシャーのない心持ち」

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