中日&広島からの誘いを両親が“拒否” 5年後に事実知るも納得「多分行かなかった」

広島で活躍した川端順さん【写真:山口真司】
広島で活躍した川端順さん【写真:山口真司】

元広島の川端順氏は鳴門高1年から甲子園出場のチャンスをつかむも届かず

 元広島投手の川端順氏は現役時代、パームボールの変型「バターボール」を武器に先発、中継ぎ、抑えもこなした。当時の投手陣には欠かせない存在だったが、鳴門高時代は徳島県屈指の本格派投手だったにもかかわらず、プロなんて思ってもいなかったという。「大学に行って、いい就職ができたらいいな、くらいしか考えてなかったですからね」。そんな中、プロ2球団から誘いがかかっていた。ところが、川端氏はその事実を全く知らずに高校を卒業していた。

 川端氏の夢は甲子園出場だったが、実現できなかった。チャンスはあった。レギュラー三塁手だった鳴門高1年夏(1975年)は南四国大会決勝に進出。3年生エースに、後に近鉄入りする住友一哉投手を擁し「いきなり1年で夢がかなうかと思ったんだけど、2-0の9回に2アウトから追いつかれて延長10回に勝ち越されて負けた。とても残念だったなぁ……」。

 エースで4番の2年秋は徳島大会を制して、四国大会に進んだが、1回戦で安芸高(高知)と延長18回1-1の引き分け。再試合では5-6で敗れた。「ひとりで27回投げたかな。精神力が弱くて、体力がなかったってことだね。再試合はボールも本当のキレがなかったんだろうね」。3年夏は南四国大会まで進んだが、準決勝で高知高に3-4。「確か、勝っていたんだけど、終盤にひっくり返された。惜しかったよね。あの時は高知高に勝っていたら、甲子園に行けるんじゃないかと思っていたからね」と悔しそうに話した。

「僕らのひとつ下の世代から夏の甲子園の代表校は1県1校になった。そういう意味でもついてなかったよね」。その後、川端氏は法大に進学することになるが、高校3年の時にプロからの誘いもあった。「僕には内緒で、親のところに中日さんと広島さんから話があったそうです。どちらもドラフト下位か、ドラフト外での話だったと聞きました」。実はこのことを川端氏が知ったのは、法大を経て社会人野球の東芝に入ってからだった。

鳴門高から法大へ…広島など2球団から誘いも本人の耳には入らなかった

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