名将の隣で目撃した日本シリーズの“伝説” ド緊張の21球に「こんな場面では守れん」

広島で活躍した山崎隆造氏【写真:山口真司】
広島で活躍した山崎隆造氏【写真:山口真司】

山崎隆造氏は3年目の1979年に巨人・江川からプロ初安打

 走攻守3拍子揃った選手として広島で活躍した山崎隆造氏(野球評論家)は1979年、プロ3年目の夏に1軍に再昇格した。初出場の2年目は代走→牽制死の1試合だけの出番だったが、2度目のこの年は8月2日の巨人戦(広島)にいきなり「1番・二塁」でスタメン起用された。プロ入り後にスイッチヒッターに挑戦し、2軍でも好結果を残したうえでの1軍舞台。「よく覚えています」。相手先発は巨人の剛腕・江川卓投手だった。

 山本一義2軍打撃コーチの指導により、従来の右だけでなく、左も自分のものにしていった山崎氏だが、左に関してはきっかけになる2軍戦があったという。「3年目で阪神との2軍戦だったと思う。相手の投手は誰だったか覚えてないんですけど、インサイドのストレートでした。インコースですから厳しいですよね。それで目をつぶって打ったような感じ。そしたらライト線に切れない打球で二塁打になったんです」。

 その結果に山崎氏は「今、どうやって打ったんだろうって自分なりに分析した」という。「いわゆるバットを巻き付かせながら打たないと打球は切れるんです。それくらいインサイドのいいボールだったんでね。その巻き付く感覚っていうのをずっと追い求めていって左打ちが確立できていったと自分では思ってます。その阪神戦が僕の中では基点になった打席なんです」。実際、2軍ながら結果も出した。「3割4分くらいは打っていましたからね」。

 そして3年目の1軍・巨人戦。広島・古葉竹識監督は当時21歳の山崎氏をスタメンで使った。セカンドの守りでは2失策したが、江川投手と対戦した打席では4打数1安打。3打席目にプロ初安打をマークした。「僕は緊張しまくるタイプ。この時も自分で動けてない感覚があった。だからエラーもしたと思いますけどね。初安打の感触は今でも覚えています。ドロンとしたカーブを三遊間に。江川さんから打ったのは自慢できますよ。でもカーブよ、ってね」。

近鉄との日本S…伝説の第7戦は古葉監督の隣で見ていた

 その後は代打、代走が中心になったものの、2軍に落ちることはなかった。広島は10月6日にリーグ優勝を決め、山崎氏は10月16日の中日戦(ナゴヤ球場)で三沢淳投手からプロ初本塁打を記録した。「ホームランは左で流し打ち、レフトポール際に打ちました。その感触も覚えていますね」。近鉄との日本シリーズにもベンチ入りした。3勝3敗で迎えた第7戦、広島1点リードの9回裏、リリーフエースの江夏豊投手が無死満塁の大ピンチを切り抜け、球団初の日本一に導いた伝説の「江夏の21球」があったシリーズだ。

 広島が連敗した1、2戦目に山崎氏の出番はなかったが、3戦目は途中から二塁の守備に就き、1-2の7回裏では先頭打者で近鉄・柳田豊投手から右中間二塁打。ここから広島が逆転に成功して3-2で勝利し、山崎氏の一打がシリーズの流れを変えたと言われた。4戦目、5戦目、6戦目は「2番・二塁」でスタメン出場したが、いずれもノーヒット。江夏の21球があった7戦目は出場せず、日本一の瞬間はベンチで見ていた。

「古葉さんのすぐ横に座ってました。一番前の一番監督側にね。ドキドキしながらね。こっちもド緊張です。こんな場面では守れんなって思いながら」。3年目でしびれる日本シリーズを経験し、日本一にもなった。「第3戦の流れを変える一打だけで、(優勝特番の)テレビ出演もさせてもらいました。(山本)浩二さん、衣笠(祥雄)さん、江夏さんに交じって、何で僕がそのメンバーの中にいるんやって感じでしたけどね」。いい流れだった。次はレギュラー取りが目標になった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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