立浪中日は「型がなさすぎる」 OBが見た現状…最下位脱出へ求められる“初志貫徹”

中日・立浪和義監督【写真:荒川祐史】
中日・立浪和義監督【写真:荒川祐史】

彦野利勝氏は2012、2013年に中日で打撃コーチを務めた

 元中日外野手の彦野利勝氏は1998年の現役引退後、野球評論家として活動しながら、名古屋市瑞穂区で「彦野利勝バッティング教室」も開講し、野球と向き合い続けている。2012年から2シーズンは打撃コーチとして再びドラゴンズのユニホームを着た。1年目は2軍、2年目は1軍だったが「1軍の時はなんかねぇ、やりきれない部分があった」と、どうにも歯切れが悪い。プロ野球コーチ業の難しさを痛感したという。

 2012年シーズンに高木守道氏が中日監督に就任した。1995年以来の復帰だった。彦野氏はその際に2軍打撃コーチとして入閣した。「守道さんに『やれるか』と言われて『大丈夫です』って言って……」。2013年は1軍打撃コーチとして、現役時代にお世話になった恩人でもある指揮官を支えた。だが、その年の1軍は4位。「ドラゴンズが今、言われている暗黒時代の始まりの1軍でしたね」と寂しそうに振り返った。

「2軍での1年目、あの年は(高橋)周平が入ってきた年なんですけど、ファームには平田(良介)とか福田(永将)とかがいた時期で、その辺を見ていましたね。みんな力があったと思うし、それなりに1軍でやれたりもしていたから、まぁ、その1年はよかったと思うんですけどね」。そう言って表情が少し曇った。「(打撃コーチとして)1軍に行った時の1年間はちょっとモヤモヤしましたね」。

 当時を反省するようにこう話す。「選手は誰も調子が上がってこないし、これはベテランの多いチームのいけないところでしょうね。結局、任せちゃうじゃないですか、練習を。ベテランにもやらせればよかったじゃないかというけど、やらせたらやらせたで、あいつら気分でやるから半分、それもよくないんです。その辺のさじ加減がねぇ……。僕らは上司だからやらせるのが普通かもしれないけど、なんか気を使わなければいけなかったんです、立ち位置的に」。

 ほろ苦い1軍コーチ初体験の思い出。「何かやりきれない部分があったし、守道さんはひとりで怒っちゃうってところもあって、毎日がすっきりしない形の野球。だからあんな成績になっちゃったのかな。力としてはそこまで負けるチームではなかった。もう遅いけどね」と言う。プロ野球のコーチ業は簡単な仕事ではない。わずか2年間で、1軍が1年だけですべてを把握するのは難しいというもの。その期間だけで終わったのももったいないとも言えるが……。

中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】
中日で活躍した彦野利勝氏【写真:山口真司】

少年野球指導も…2人のプロ選手を輩出「何かのきっかけに」

 一方で「彦野利勝バッティング教室」では少年野球指導を行っている。「引退して2年くらい経ってからかな。もう二十数年はやっていますね」。場所は名古屋市瑞穂区の「あらたまバッティングセンター」で小学1年から中学3年までが対象。「バッティングセンターが休みの水曜日に貸してもらっているんです。基本的にはバッティングですが、個人教室とかをやる時はキャッチボールや軽いノックくらいはできるのでそういうこともたまにやっています」。

 中日の森博人投手(2020年ドラフト2位、豊川→日体大)や、菊田翔友投手(2023年育成2位、享栄→四国アイランドリーグplus愛媛)はかつて、彦野氏の教室に一時期いた選手だという。「2人ともピッチャーなんですけどね。別にプロ野球選手を出したくてやっているわけじゃないですけど、何かのきっかけになってくれたらうれしいですね」と目を細めた。

 高校生、大学生の指導に必要な学生野球資格も回復。母校・愛知高には先日、顔を出したという。「今、ウチの高校はあまり強くないんで、たまに行こうかなと思っています。そんなに押しかけて、迷惑がられても嫌だし、たまにね。愛知高って野球が強いよねってレベルでいいんで、ちょっとでも格好をつけたいな、つかないかなと考えています」。それも今後の夢のひとつだ。

 プロのコーチに関しても「もし今度やらせてもらうなら、もっとすっきりやりたいなと思いますね。いろんなことをちゃんと伝えてあげたいし、やらせてあげたい。前回は半分くらいしかできていないと思うしね。でも、まぁ、これはなかなか現実的な話ではないかもしれないですけどね」。こればかりは相手あってのことながら、59歳の今もユニホームへの意欲は少しも衰えていない。

立浪監督へ「自分の思う型を決めてシーズンを通して貫いてほしい」

 ファンとの交流も大事にしている。名古屋市栄のレストラン&バー「トリシゲスタジアム クリスタル広場前店」ではトリスタアドバイザーの肩書きでイベントに登場しているし、バンテリンドーム内の「焼鳥とりしげ」では1日店長を定期的に務めて話題にもなっている。もちろん“本業”の野球評論家としてもテレビ、ラジオに多数出演。「いろんな意味で野球に関わっている。ありがたい話ですよ」と感謝している。

 2年連続最下位から巻き返しを目指す古巣・中日のことも気にならないわけがない。後輩でもある立浪和義監督には「オーダーにしても、ピッチャー起用にしても、型がなさすぎるというか、自分の思う型を決めてシーズンを通して貫いてほしい。いろいろ言われるかもしれないけど、こうだと決めたらそれでやってほしいなと思います。勝っても負けてもね」と敢えて注文をつけた。

「もっと大胆にやってほしい」。それは彦野氏からのエールでもある。このままで終わってほしくないと願っているからこそ、立浪ドラゴンズの底力を期待しているからこそのことだ。振り返れば1987年、プロ5年目の彦野氏は、駄目ならクビを覚悟したところから、星野仙一監督に大抜擢されて「1番センター」のポジションをつかんだ。1988年の中日優勝にも大貢献した。2024年シーズンの中日からも、かつての彦野氏のような若手が出てくれば……。

 野球は筋書きのないドラマと言われるが、彦野氏の野球人生もまた山あり谷ありの波瀾万丈の予測できない展開が続いて、現在に至っている。果たして、次はどんなドラマが待ち受けているのだろうか。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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