国民的スター加入に“拒否反応”「最初は嫌でした」 報道陣200人…救われた恩師の言葉

DeNAで活躍した須田幸太氏【写真:湯浅大】
DeNAで活躍した須田幸太氏【写真:湯浅大】

元DeNAの須田幸太氏の早大3年時に「ハンカチ王子」がやってきた

 DeNAや社会人野球のJFE東日本で活躍した須田幸太氏は、早大3年時にエースナンバー「11」を背負い、頭角を現した。その年は「ハンカチ王子」として全国を熱狂させた斎藤佑樹投手が入部。夏の甲子園で早実高を全国制覇へ導いた“国民的ヒーロー”が加入した当時をFull-Countのインタビューで振り返った。

「最初は嫌でしたよ。どんなに抑えても注目されなかったですからね。やはり僕だって選手として注目されたかったわけです。でもどんなに頑張っても、全部、斎藤ばかりでした。面白くはなかったですよね」

 日本中を感動させた“スーパーアイドル”の入部。部員の中には「ミーハーな感じで『おぉ、本当に来たよ』などと言っている人もいましたが、僕は『来るな』と。同じ投手だったし」。

 そんな“ハンカチフィーバー”の凄さは、いきなり練習初日に思い知ることとなる。テレビカメラ40台、200人の報道陣が集結し、ハンカチ王子の一挙手一投足を追いかける。持久走では、そんな過熱報道の恐ろしさも実感した。

「実は斎藤は速くないんですよ。部員全員で走ったのですが、斎藤は後方集団の先頭にいたんです。そうしたらその集団だけを切り取られて『佑ちゃん、先頭で先輩を引っ張る』みたいなニュースにもなった。今では笑い話ですけど、僕らもまだ若かったし『はぁ?』みたいな。もうこれは絶対に斎藤を試合で使う。これだけ注目されていたら使わざるを得ないでしょ、と思っていました」

リーグ戦開幕前、亡き恩師からの言葉で「冷静になれました」

 自身の出場機会が減ることを危惧しながら練習に臨み、東京六大学野球の春季リーグ開幕が近づいた頃、須田氏は当時の応武篤良監督(2022年9月に死去)に呼ばれた。「エースナンバーはお前に与える。開幕カードの東大戦以外の土曜日はお前に任せるからな」。日本中が佑ちゃんの大学初登板を待ち望んでいたこともあり、リーグ開幕戦こそ斎藤氏に投げさせる予定だったが、須田氏は以降の重要となるカード頭の先発を言い渡された。

「あの言葉で冷静になれました。斎藤は斎藤だとスイッチが切り替わった。変なところに気を遣って、自分をすり減らして結果が出なかったらもったいない。斎藤が注目されるのは仕方ないと。自分は自分のやれることやろうと」

 応武監督の言葉通り、須田氏は残りの全カードの初戦マウンドを任され7試合で3勝1敗、防御率2.10の成績を残した。その一方で斎藤氏も4勝をマーク。須田氏の1学年後輩で後に西武に入団した松下建太も3勝を挙げ、早大は優勝を果たした。

「今思うと1年生であれだけ騒がれて、肩身の狭さはあったと思います。本人も現役引退後にそんなようなことを話していたと聞きました。いつでも周囲から見られていて、やりたいこともできなかったし、途中からは大変なんだろうなと思うようになっていました」

 スター選手の加入に心中穏やかではなかったが、恩師の一言に救われた須田氏。エースとして存在感を示し、プロ入りへの礎を築いていった。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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