戦力外も豪語「今の給料くらい稼げる」 捨てたプライド…妻に命じられ“サラリーマン生活”

元ヤクルト・加藤幹典氏【写真:本人提供】
元ヤクルト・加藤幹典氏【写真:本人提供】

加藤幹典さんは2012年限りで現役引退後、ヤクルト本社に就職した

 2007年の大学生・社会人ドラフト1巡目でヤクルトに入団した加藤幹典氏は、2012年限りで現役を引退した後、ヤクルト本社に入社した。すぐに起業しようと考えていたというが、8歳上の夫人の助言もあって親会社で4年半を過ごした。このセカンドキャリアの選択が「調子に乗っていた」という自分を変え、現在につながっている。

 プロ3年目の2010年、「左肩甲上神経麻痺」の診断を受けた。違和感を覚えてから2年間が過ぎていたこともあり、手術しても治る確率は5%未満と告げられた。「球団から『手術するのであればうちはもう契約しない』と。肩の手術で治った人がいないから、肘だったらいくらでも、ということでした。じゃあもうこの体でできるところまでやろうと思ってやってきて、4年目、5年目はいつ切られてもおかしくないと、覚悟は決まってましたね」と戦力外の“予感”があったことを明かす。

 だからこそ“準備”も進めようとした。簿記の勉強をしようと、秋季キャンプの夜の空き時間に約1時間ほど本を開いた。しかし「コーチの方に『野球をやる気がないのか』と怒られて……。『野球をやるなら最後までやれ』と言われたので、それ以来勉強はしませんでした」と苦い思い出を明かした。

 2012年は1軍登板なしに終わり、戦力外通告を受けると引退を決断した。起業するつもりで「当時は調子に乗っていたんでしょうね。『引退しても今の給料くらい稼げるよ』と妻に豪語して。今では本当に恥ずかしいです」。本社から話があったこともあり「妻は、社会の経験をちゃんとさせないとって思ったみたいです。なので『私がいいというまで独立しちゃダメ』って言われて」と、サラリーマン生活がスタートした。

 入社の際に夫人から言われた「ここから大事なのはプライドをいかに捨てて取り組むか。ゼロからのスタートで、周りの社会人がもう何年かやっていて差が出るのは当たり前だから」という言葉を胸に刻んだ。といっても、そう簡単なことではないように思えるが「全部吸収してやろうという気持ちで、プライドは捨ててできました」という姿勢が“変化”につながったのだろう。

「今振り返ると本当に恥ずかしい」現役時代の“過ち”

 新人研修を終えると約2年半、自宅やオフィスを訪問販売する「ヤクルトレディ」さんとともに顧客の元を回り、普及活動や新規開拓に励んだ。その後は清涼飲料水などを量販店に下ろす役割を担い、4年半を経て独立した。これは夫人から認められた証拠だった。

 周囲からも「変わったね」と言われることが増えたという。「本社での4年半がすごく活きたねと言ってくれる。マナー研修を最初にやったのもそうですし、社会人の常識、考え方だったり、一般的な物事の部分はそこで学べたかなと思います」。さらに苦笑いで打ち明けた。

「今振り返ると本当に恥ずかしいんですが……。プロに入るといろいろ連絡が来て、でも僕メールの返信とかあまりしない人だったんです。『なんで返信しないの?』と聞かれると『いや、必要だったらあっちからまた来るでしょう』とか言っていたり、今考えるとあり得ないような行動をしていたなと。人としてヤバかったです。社会人はメールをすぐ返すとか当たり前なんです。ちゃんとコミュニケーションを取らないといけないところは凄く勉強になりました」

 現在は「ZENB ACADEMY」の代表取締役として野球スクール事業に取り組み、グロービス経営大学院で経営の勉強も行う。また山梨県民球団を立ち上げ、2025年のルートインBCリーグ加入を目指すなど多忙を極める。「元々は、野球人口が減っている状況で野球人口を増やしたいという活動。そこはブレずに、日本という枠ではなく世界市場を目指してやりたいなと思っています」。NPB生活は5年で終わったが、加藤氏は今も野球で夢を追いかけている。

(町田利衣 / Rie Machida)

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