感動に満ちたメイズ氏の追悼セレモニー 死去から2日後…黒人リーグ表敬試合が弔いの一戦に【マイ・メジャー・ノート】

ウィリー・メイズ氏の追悼試合が行われたリックウッド・フィールド【写真:Getty Images】
ウィリー・メイズ氏の追悼試合が行われたリックウッド・フィールド【写真:Getty Images】

メイズ氏死去から2日後、米最古の球場で初のMLB公式戦が実施された

 6月20日(日本時間21日)、米アラバマ州バーミンガムにある最古の野球場「リックウッド・フィールド」で初めてメジャーの公式戦が行われた。カージナルスとジャイアンツが戦った同球場は、1910(明治43)年8月18日に開場。かつてニグロリーグのブラック・バロンズが本拠地として使用していた。2日前には、ジャイアンツで活躍し史上唯一の「3000安打、300本塁打、打率3割、300盗塁」を達成し、「戦後最高の外野手」と称えられたウィリー・メイズ氏が急逝。同チームからメジャーに巣立ったかつてのスーパースターを弔う一戦にもなった。【バーミンガム=木崎英夫】

 ニグロリーガーたちへの表敬試合とされた一戦は、走攻守でファンを魅了したかつてのスーパースターへの惜別の思いを込める戦いになった。

 始球式の直前には、ケン・グリフィー・Jr.とバリー・ボンズとともに登場したメイズ氏の息子、マイケル・メイズ氏は、編集された父の活躍する姿が右中間の大型スクリーンから消えると「彼に聞こえるように!」と声を張り上げた。総立ちの観客は呼応。万雷の拍手は「ウィリー! ウィリー!」の大合唱へと変わり、感動的な追悼セレモニーとなった。

 客席は8332人の観客で埋め尽くされたが、ジャイアンツが好機を作るたびにボルテージは上がった。3回表、2番のエリオット・ラモスが同点に追い付く3ランを右翼席へ打ち込むと、114年目の球場に地鳴りのような歓声と拍手が響きわたった。

リックウッド・フィールドでウィリー・メイズ氏の追悼試合が行われた【写真:Getty Images】
リックウッド・フィールドでウィリー・メイズ氏の追悼試合が行われた【写真:Getty Images】

メイズ氏への熱い思いを語ったジャイアンツのメルビン監督

 ウィリー・メイズ氏は1951年にメジャーデビュー。引退する1973年までの23年間のほとんどをジャイアンツでプレー。試合前の公式会見で、そのメイズ氏に対する熱い思いを語ったのが、ジャイアンツのボブ・メルビン監督だった。

「隣の町に自宅を構えていたウィリーにどうしても会いたくて、友達と自転車に乗って近くまで行くと、ピンク色のキャデラックに乗ったウィリーがそばを通ってね。手を振ってくれたんですよ。(ジ軍の元本拠地の)キャンドル・スティック・パークで3000本安打も目撃しました。テレビやラジオの中継でウィリーが打席に入ると何かをしていても手を止めました」

 メルビン監督は続けた。

「私がジャイアンツに入団した1986年でした。開幕前の練習でようやく会うことができました。当時の本拠地球場はレフトから強い風が吹き込んでくるんですが、『660本ものホームランをどうして打てたんですか?』と質問したら、ウィリーは打席に立って右にかっ飛ばし、そして一言。『逆方向に打ちゃあいいんだよ』。球場の特徴をつかむ感性というか、打つことへの執念を知ったのはその時でした」

会見に臨んだジャイアンツのボブ・メルビン監督【写真:ロイター】
会見に臨んだジャイアンツのボブ・メルビン監督【写真:ロイター】

ジャイアンツは惜敗も…メルビン監督「我がチームが最もふさわしい」

 アラバマ州ウエストフィールド出身で、1948年から2年間、ブラック・バロンズに在籍したメイズ氏は、1950年にニューヨーク・ジャイアンツと契約を交わし、20歳の翌1951年5月25日のフィリーズ戦でメジャーデビュー。20本塁打、68打点をマークして新人王に輝いた。1952年途中から兵役に就いたものの、復帰した54年に打率.345で首位打者を獲得し、最優秀選手賞(MVP)も受賞。以後、スター街道をひた走る。

 ジャイアンツは5-6の1点差で敗れ、メイズ氏の惜別に花を添えることはできなかった。しかし、メルビン監督は「ウィリーがプロ野球人生のスタートを切った場所で戦うのは、我がチームが最もふさわしい」と胸を張った。

 正面入り口には白いチョークでスタメンを書くための大きな黒板がある。鉄骨が観客席の上にせり出した照明塔も、黒と白を基調にした手動のスコアボードもある。

 かつて白人だけがプレーしたメジャーリーグに対抗し、旗揚げしたニグロリーガーたちの魂が宿るリックウッド・フィールド。夜空には満月が浮かび、表敬と弔いの場に特別な空気を醸した。
                             
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。シアトル在住。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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