ダルビッシュ、日本選手初の2000Kに至る“苦悩” 新境地開拓へ…影響受けた青木宣親【マイ・メジャー・ノート】

Wソックス戦に先発したパドレス・ダルビッシュ有【写真:ロイター】
Wソックス戦に先発したパドレス・ダルビッシュ有【写真:ロイター】

日本選手初の2000Kも「狙いすぎやみたいな感じで…すごく苦しんだ」

 パドレスのダルビッシュ有投手が22日(日本時間23日)のホワイトソックス戦で、9三振を奪い、日本選手初となるメジャー通算2000奪三振に達した。記録は序盤の3回、ルイス・ロベルトをスライダーで見逃し三振に仕留めて達成。7回途中までマウンドに立ち勝機をつくった。自身の7勝目と、日米通算で黒田博樹氏(広島、ドジャースなど)に並ぶ203勝は次戦に持ち越した。チームは4-2で逆転勝利し、4連勝を飾った。【サンディエゴ(米カリフォルニア州)=木崎英夫】

 奪った三振は9個。記録に到達した6個目は序盤の3回だった。2死二塁のピンチで2番ルイス・ロベルトに最後、外低めゾーンぎりぎりに曲げる88マイル(約142キロ)のスライダーを制球。見逃し三振に仕留めた。本塁打2本を含む3安打の粘投で試合をつくった。7回の先頭打者を打ち取ったところでマイク・シルト監督が交代を告げ降板。

 ダルビッシュは終始柔和な表情で試合後の会見に対応した。メジャー12年目、281試合目で日本選手初の大台到達に「もちろん嬉しいです」と素直に表すと、これまでに所属した3球団(レンジャーズ、カブス、ドジャース)も含め関係者に「たくさんの球団にお世話になっているのでそういう方たちと積み上げてきたもの」と謝意を述べると「ファンの方と本当に多くの方に感謝を申し上げたいです」と結んだ。

 謙虚に喜びを話した。一方、三振そのものへの思いには苦悩をにじませた。

「レンジャーズ時代は結構言われていたので、三振ばっか狙いすぎやみたいな感じで。当時は三振よりも少ない球数で長いイニングをいく方が評価されていた時代だったんで、すごく苦しんだんです」

 “狙いすぎ”は数字にも映っている。

 日本ハムで無双の投球を続け、2012年にレンジャーズに移籍。デビュー年で221個、2年目にはメジャー最多の277個を奪い3年で三振680個を積み上げた。しかし、先発投手に100球目途の球数制限を敷くメジャーにあっては、打たせてアウトを稼ぐことが求められる。バットの芯を外しゴロの確率を上げるツーシームをダルビッシュが本格的に投げはじめたのは米移籍後からである。

 ただ、時代の潮流と厳格にモニターされる球数から新球種の獲得や配球を考え直してきたわけではない。

引退会見でのヤクルト・青木宣親【写真:松本洸】
引退会見でのヤクルト・青木宣親【写真:松本洸】

青木と1時間近く話し込んだ2017年…「駄目だと気づかせてもらった」

 この日、サンディエゴから北へ約200キロ離れたロサンゼルスでは、時を同じくしてプレー中だったドジャースの大谷翔平が大暴れ。ソロ本塁打と2盗塁で「53-55」とした。会見では質問の4分の1が大谷絡みだった。しかし、狙った三振で苦悩した過去が露わになったからこそ、浮かんでくる顔がある——。今季限りでの現役引退を表明したヤクルトの青木宣親である。

 青木が日本球界に復帰をする前年の17年6月だった。ダルビッシュと遠征で来たアストロズの青木が練習前に1時間近くも話し込む姿があった。具体的な話の内容は分からなかったが、ダルビッシュは後日、アストロズ打線との対戦を「それまで自分のポテンシャルでやってきたけど、駄目だと気づかせてもらった」と自省の言葉で振り返っている。

 日本時代の貯金だけでやっていけるほどメジャーは甘くはない。ダルビッシュが自分流のスカウティングレポートをコツコツと作り出したのもこの頃である。同年6月12日の対決では打席に立つ青木の顔をあえて見ずに、作成した独自のデータから配球を組み立て2打席無安打に抑えている。

 この対決の1年前に思い当たることがあった。

 右肘の靭帯修復手術(15年3月)から復帰に向けリハビリに励んでいた16年の春だった。記者はダルビッシュに単刀直入に聞いた。「青木とイチロー、どちらがやりにくいか」——。返ってきたのは「それ、僕は言えないじゃないですか」だった。重油のように粘りつく問いに記者は猛省したが、答えにならない答えは、ダルビッシュの“転換点”の文脈とつながっている。

 日米通算2727安打(23日現在)を放つ好打者、青木の存在がダルビッシュの新境地開拓と無関係ではあるまい。

Wソックス戦に先発したパドレス・ダルビッシュ有【写真:ロイター】
Wソックス戦に先発したパドレス・ダルビッシュ有【写真:ロイター】

青木とは家族ぐるみの付き合い「僕が本当に尊敬する方」

 囲みの最後で青木の引退について聞いた。

「青木さん家族とは3年連続ぐらい年末に会っているので、家族同士ですごく仲がいいです。人間として本当に素晴らしく、僕が本当に尊敬する方。人間としての自分にすごく大きな影響を与えた方。それと同時に青木さんを支えられてきた(妻の)佐知さんと青木家のみなさんに対して本当にお疲れさまでしたと言いたいです」

 制限リストと負傷者リストから復帰して4試合目、38歳で手にした日本投手初の「2000奪三振」は剛から柔への意識改革が下支えしている。

 24日(同25日)からは敵地での首位ドジャースと直接対決の3連戦。「どんどん士気が上がっている」とダルビッシュ。仮に3連勝すれば、並ぶことができる。残り6試合。ポストシーズン進出を決め、逆転地区優勝に希望をつなぐ。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続ける在米スポーツジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模野球部OB。シアトル在住。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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