新指揮官に求められる手腕…182勝&3世代で2桁勝利 実績申し分なし、西武再建なるか
西武・新監督の西口文也氏は西武一筋21年で通算182勝
今月9日、西武は西口文也氏が来季から1軍監督に就任することを発表した。西口氏は1995年の入団から21年間にわたってライオンズ一筋でプレーし、5度のリーグ優勝と2度の日本一にも大きく貢献。獅子のエースとして一時代を築いた。まさにライオンズのレジェンドという称号に相応しい存在だ。今回は西口氏が現役時代に残した実績をあらためて振り返り、セイバーメトリクスで用いられる指標に基づく成績についても確認する。
西口氏は立正大から、1994年のドラフト3位で西武に入団。1年目の1995年に早くもプロ初完封を記録し、防御率1.99と才能の片鱗を示した。続く1996年には31試合で210回1/3を投じ、16勝を挙げて防御率3.17と出色の投球を披露。プロ2年目にして大車輪の活躍を見せ、先発陣の柱へと成長を遂げた。
3年目の1997年は2年連続で200イニングの大台を突破し、15勝5敗、192奪三振を記録してリーグ優勝の立役者の一人となった。最多勝、最高勝率、最多奪三振の投手3冠を獲得し、ベストナインとゴールデングラブ賞もW受賞。それに加えて、沢村賞とシーズンMVPの栄誉も手にして、名実ともに球界屈指の先発右腕としての地位を確立した。
続く1998年もエースとしてチームをけん引し、13勝、148奪三振で2年連続となる最多勝と最多奪三振の投手2冠を受賞。ベストナインとゴールデングラブ賞も前年に続いて獲得し、エースとしてライオンズのパ・リーグ連覇に大きく貢献を果たした。
1999年以降は「平成の怪物」松坂大輔氏と強力なコンビを形成し、着実に勝ち星を積み重ねた。2005年には共に自己最高となる17勝、防御率2.77を記録し、5月13日にはノーヒットノーラン、8月27日には完全試合に迫る快投を披露。プロ11年目にしてキャリアハイと呼べる投球を展開した。
2009年と2010年も防御率5点台と引き続き苦戦が続いたが、37歳で迎えた2011年には22試合に先発し、ともに2005年以来6年ぶりとなる2桁勝利と防御率2点台を記録。プロ17年目にして健在ぶりを大いにアピールし、再びチームの主力投手として躍動を見せた。
2013年以降の3年間は未勝利に終わり、2015年に41歳で現役を引退。182勝を積み上げ、先発として長年にわたってチームを支え続けた名投手だった。
今季の西武は今井達也投手と武内夏暉投手が2桁勝利
西口氏が記録した指標にも着目する。通算の与四球率は3.23と平均値に近い数字だが、投手3冠と沢村賞に輝いた1997年には200イニングを突破しながら与四球率2点台とハイレベルな投球を見せ、1999年と2002年にも与四球率2点台と好投を見せていた。
とりわけ印象的な成績を残したのが、勝利数と防御率でキャリアハイを記録した2005年で、172イニングで与四球率1.78という素晴らしい成績を残している。今季の西武は与四球率がリーグ最下位かつ、6球団で唯一の3点台という結果に終わっただけに、西口氏のような制球力を持つ投手を一人でも多く育成したいところだ。
また通算の奪三振率も7.41と概ね平均的な水準に近かったが、1996年〜2006年の全盛期は全て7点台〜8点台で推移していた。とりわけ、2000年から2004年までは5シーズン中4シーズンで8点台の奪三振率を記録し、2002年には182イニングで180奪三振を記録し、奪三振率8.90と素晴らしい数字を記録。全盛期は高い奪三振力を誇っていたことがわかる。
西口氏は長年にわたってエース格として登板を重ね、1990年代、2000年代、2010年代の3世代全てでシーズン2桁勝利を記録。21年間にわたって現役生活を続けてきた経験を指導者として後進に伝え、苦しい状況にあるチームの再建への道筋を立てたいところだ。
2024年に揃って10勝を挙げた今井達也投手と武内夏暉投手を筆頭に、現在の西武にはさらなる成長が期待できる先発投手が多く存在する。それに加えて、現役時代に西口氏がつけていた背番号「13」を受け継いだ高橋光成投手が復調を果たせば、西口氏の現役時代のような多士済々の先発陣を構成することも、決して夢物語ではないはずだ。
長年にわたってライオンズを支えてきた西口氏が、指揮官という新たな立場でチームを救うことができるか。来季から発揮されるその手腕には、大いに注目が集まることだろう。
(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)
(記事提供:パ・リーグ インサイト)