1安打完封で監督賞予感も…衝撃の説教30分 予想外すぎたV9戦士の対応「えーっ」
星野伸之氏はプロ8年目の1991年に自己最多の16勝をマーク
オリックスは1991年シーズンに本拠地を西宮球場からグリーンスタジアム神戸に移転した。チーム名も「ブレーブス」から「ブルーウェーブ」に変更。指揮官には巨人V9戦士の土井正三氏が就任した。土井オリックスは1993年まで3年続き、いずれも優勝争いに絡めずの3位だった。当時エース左腕だった星野伸之氏(野球評論家)には土井監督との思い出もいろいろある。好投後に呼ばれて「監督賞かと思ったら説教されたこともあった」など懐かしそうに話した。
星野氏は土井オリックス1年目の1991年にキャリアハイの16勝をマークした。最多勝は17勝の近鉄・野茂英雄投手。惜しくも1勝差でタイトル獲得はならなかったが、28登板、16勝10敗1セーブ、防御率3.53の成績でチームに貢献した。「野茂は中5日で投げていた。僕も中5日でずっと投げていれば17勝できたかなって、そんなことも考えましたけどね」。
土井監督に関しては「しゃべり好きでしたね。しかも、しゃべりがうまいんですよ。きっと講演とかも上手だったんだろうなと思いましたね」という。「いつだったか、福岡から小倉へのバス移動の時、僕が完投勝ちしてインタビューを受けて一番最後に乗ったら、土井さんに横に座れって言われて、最初野球の話から始まって、そこから自分の娘さんの話に変わって、ちょうど小倉に着く頃にまた野球の話に戻してまとめて終わるんですよ。ホント計算されたようにね」。
忘れられないのは好投した試合後に土井監督に呼ばれた時のこと。「確か1安打完封をしたと思います。それで監督室に来いって言われて、やったー、監督賞をもらえると思って喜んで行ったんです。それまでもらったことがなかったんでね。そしたら『まあ座れ』って。7回か8回に真っ直ぐを打たれたヒットについて、そこから30分、説教されて終わりました。思っていたことと真逆のことが起きたので、えーって思ったのを覚えていますね」。
土井正三監督の「巨人では」に敏感だったオリ選手
土井監督は説教のつもりではなかったかもしれない。なにしろ話が長いことで知られていた。「その時も『カウント2-2までいっただろ、あれな、もう1回真っ直ぐいくような感じでフォークを投げればよかったんだよ、そしたらノーヒットノーランだった』とか言われましたね。その真っ直ぐを投げるふりのやり方を教えてほしいって思いながら聞いていましたけどね」と思い出し笑いだ。
星野氏はさらにこう続けた。「キャンプの休みの日に中嶋(聡捕手)と2人で昼間にお茶飲んでいたんですよ。で、そろそろ帰ろうかって立ち上がった瞬間にパッと見たら土井監督がいたんです。それまで横に壁があって見えなかったんです。『やばい、監督いるぞ』って言っていたら見つかって『俺にも一緒にお茶飲ませてくれよ』って。そっから1時間、話が終わりませんでした。内容は覚えていませんが、野球の話だったと思いますけどね」。
土井監督はミーティングでよく巨人時代の話をした。「これはパ・リーグのやっかみだったかもしれないけど、土井さんが『巨人では』『巨人では』と言うことに敏感だった(オリックスの)選手も多かったかなぁっていうのはありましたね。でも、考えてみれば土井さんはそれまでずっと巨人だったので、昔の話は巨人のことしかなかったんですもんね」と星野氏は話す。もちろん、土井野球で勉強になることもたくさんあったそうだ。
「守備でゲッツーの取り方とか、トスの上げ方とか“上手だな、なるほどな”ってね。ピッチャーから見ていても、そっちの方がダブルプレーを取りやすいってわかりましたし、やっぱりさすが巨人でV9している人だなと思いましたよ」。しゃべりだしたらなかなか止まらない。それこそ野球の話はどれだけでもしそうだった土井監督も星野氏にとっては印象深い指揮官だ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)