和田毅「どんどん体がボロボロに」 7月に妻に伝えた決断…会見で明かした引退の真相

みずほPayPayドームでの会見に臨んだソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】
みずほPayPayドームでの会見に臨んだソフトバンク・和田毅【写真:竹村岳】

引退会見を実施…「今年が最後という気持ちでいた」

 今季限りで現役を引退するソフトバンクの和田毅投手が5日、本拠地みずほPayPayドームで会見を行った。約70人の報道陣が集まり、無数のフラッシュを浴びる中で、プロ22年目の43歳は自身の思いを語った。

 会見の冒頭で「私、和田毅は今シーズンをもって引退します。たくさんの方に連絡返せていないんですけど、この場を借りて伝えさせていただきます」と爽やかな笑顔をみせた。決意した時期については「最近決めたわけでもなく、ずっと前から。ある程度固まったのは今年7月くらいですかね。妻にも7月には伝えていたので。ここまで皆さんに知られずにこの日を迎えられて。よかったなと」と語った。

 2019年から引退を意識していたという。「5年前くらいから。自分としては肩の痛みを感じながら投げていて。いつでもというか、駄目ならやめようという気持ちで戦っていました」。そうした心境で戦う中、「ホークスで選手としての役割というのがだんだん終わりを迎えているというのが出てきて。特に今年はそれを強く感じて。ホークス、野球界に貢献できれば。野球を勉強する時間を当てたいなという比率が高くなって。それが完全に上回ったのが今年だった」と明かした。

「どんどん体がボロボロになっていっているなというのは今シーズン最後に投げながら感じていましたね」と振り返った。今季は「膝の痛みが本当にきつくて戻れないなと正直覚悟していたんですけど。もしかしたら投げられるかもしれないと思った時に、完全に今年辞めようと。球団のトップの方に伝えた」と述べた。

今後については「全く何も。本当に内密に進めてきたこと」

 和田は島根・浜田高で3年夏の甲子園ベスト8に進出。早大では東京六大学の最多記録を更新する通算476奪三振をマークした。2002年ドラフトの自由獲得枠でダイエーに入団。1年目に14勝をマークし、新人王に選出された。ルーキーイヤーから5年連続で2桁勝利を挙げると、2010年にはキャリアハイの17勝で最多勝とMVPに輝いた。

 2011年オフに海外FA権を行使してメジャーリーグに挑戦。故障などの影響で4年間で計5勝にとどまったが、2016年にソフトバンクへ復帰すると、15勝をマークして最多勝、最高勝率のタイトルを獲得。2023年には球団最年長記録の42歳1か月で勝利投手となり、通算2000投球回も達成した。

 今季は初先発となった5月6日の日本ハム戦で初勝利をマークし、同22日の楽天戦でも7回無失点と好投したが、その後は怪我もあって状態が上がらずファームでの調整が続いた。ポストシーズンでのリリーフ起用を見据えて、シーズン終盤には中継ぎで戦列に復帰したが、10月1日のオリックス戦で左股関節を痛めて途中降板。同13日の実戦形式の練習で再び左股関節付近を負傷した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでの登板は実現せず、シーズンを終えていた。日米通算165勝をマークした。

 今後は「全く何も。本当に内密に進めてきたことですし、絶対に漏らしたくないという気持ちでやっていましたし。王会長に伝えたのも昨日の朝でしたし。本当に何も決まっていませんし、球団の方からは今後の話をしっかりできたらといってもらっているので、それは本当にありがたいこと」と“白紙”を強調。指導者については「今の自分では勉強不足」と話した。終始、にこやかな笑顔だった。

 和田は横浜高で甲子園春夏連覇を果たした松坂大輔氏と同学年。松坂については「常に僕らの太陽というか、トップですし。松坂世代もついに終わってしまうというのは。本人に連絡したら悲しがってくれていたので。なんかやろうよという話はしました」と会話の内容を明かした。和田は「松坂世代」としてNPBでプレーする現役選手では最後の1人だった。

(Full-Count編集部)

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