母校は「日本一の上下関係」 恐怖から拒否反応…元中日戦士の心を溶かした“OBチーム”

マスターズ甲子園本大会に出場した元中日・辻田摂氏【写真:喜岡桜】
マスターズ甲子園本大会に出場した元中日・辻田摂氏【写真:喜岡桜】

マスターズ甲子園に出場したPL学園OBで元中日の辻田摂氏…当初は参加をためらった

 PL学園のクリーンアップとして1995年に春夏連続で甲子園に出場し、米マイナーなどを経て2000年ドラフト8位で中日に入団した辻田摂氏は、1軍出場がないまま在籍2年で戦力外通告を受けた。同じポジションの山崎武司氏や、PL学園の先輩である立浪和義氏らが「バケモノに見えました」と言う。その後は大和高田クラブを経て、現在の職場であるミキハウスで36歳の時に現役引退。軟式野球を楽しんでいたところ、同級生からPL学園OBチームへの“誘い”の電話があった。だが、辻田氏は返答をためらったという。

 選抜大会3度、選手権4度の優勝を誇るPL学園硬式野球部は2017年に大阪府高野連から脱退、休部した。廃部危機にある中、復活を願いOBによるチームが結成されたのは2019年。友人からの誘いは母校のユニホームを着て再び一緒に野球をし、全国の高校野球OBとOGが出身校別に同窓会チームを結成して出場する「マスターズ甲子園」を目指そうというものだった。辻田氏は笑いながら当時の心境を語る。

「今だから言えますけど、絶対に嫌でした。記憶が高校3年で止まっているんです。みなさんPL学園のことを『日本一の上下関係』とか『全国で一番厳しい』って思っているでしょ? 本当にそのイメージ通りの野球部だったんです。だから僕、本当に先輩が怖くてOB会に1回も行ったことがなかったんですよ」

 当時42歳だった辻田氏は、電話を切ってから1か月悩んだ。そのまま一歩も踏み出さずにいるのか。考え抜いて出した答えは「しばかれてもいいから行こう」。週5日のランニング、週1日のバッティングセンター通いで感覚を取り戻し、「1本だけでいいから硬式球でヒットが打てたら」と小さな目標を立てて、チームに合流した。

懐かしい硬式球の感覚、公立校に敗れて蘇ったプライド

「恐る恐る2021年の大阪府予選初戦に行ったんです。そしたらみんな優しくなっていました。もういい歳なのにまだ厳しかったらおかしいですもんね。逆に、春夏連覇や素晴らしい成績を残した先輩方と試合ができるって、なかなかないことですし、楽しいことと思えました。その日はいきなり4番で使ってもらってヒット3本。硬式の懐かしい感覚に欲が出て、次はホームランを打ちたくなって2回戦も参加しました」

 辻田氏以外の同校OBに話を聞くと、年代によって厳格な上下関係などの慣習を変えようとしたこともあったが、新チームになると元通りになってしまっていたという。1人や、1学年の決心だけでは変えられないほど根深いルールだったのだ。だが、当時は高校生だった球児たちが大人になり、OBチームは同じことを繰り返さないと決めている。昔を懐かしみながら、先輩・後輩に関係なく冗談を言い、野球を楽しんでいる。

 チーム合流後、辻田氏は2回戦で本塁打を記録するも、3回戦で天王寺に敗退。「全体練習していると思うくらいまとまりがあるチームでした。次の年は生野に決勝で負けたんです。どっちも公立で、勉強ができる学校だし、僕が高校生だった頃はもうそんなに強くなかったと思うんです。そのときなら負けてなかったであろうチームに負けて……。こんな感覚になったことがないというか、もう、甲子園しか見えなくなったんですよ」と、意欲を掻き立てられた。

 今年6月には辻田氏が発起人となり、全体練習を実施。その成果もあって、甲子園球場で9、10日に開催された「マスターズ甲子園」本大会に5年ぶり2度目の出場を果たした。10日に行われた鳴門渦潮OBとの一戦は、9-8で逆転勝ち。ヒゲを剃って初心に戻り、右中間を割る痛烈な三塁打を放った辻田氏は「1人1打席と決まっていた中でヒットが打てて、チームも勝てて本当によかったです。体が動く限りはまたPL学園のユニホームを着て、甲子園を目指します」と満足そうに話した。

 厳格な上下関係が“トラウマ”になり、母校と疎遠になっているOBの背中も押す。「昔怖かった先輩も丸くなっています。心配はいりません。僕もすごく怖かったけど、来て良かったと思っています。監督とお酒を飲んだりいろんな先輩と話せたりして楽しいです」と語る。伝説の強豪校のユニホームを着た辻田氏は、甲子園に来た時も、去る時も、ずっと笑顔だった。

(喜岡桜 / Sakura Kioka)

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